最強のふたり

●185 最強のふたり 2011

 映画はドリスという黒人が運転する車にフィリップと呼ばれる男性が乗っているところからスタートする。ふたりは車を飛ばしパトカーに捕まるが、フィリップが発作の芝居をすることでそのピンチを回避する。

 そしてドリスがフィリップの家で面接を受けるところに場面は移る。ドリスは失業保険を受け取るために就業活動をしている書面にサインを貰いに来ただけだったが、フィリップはドリスを気に入り、翌日9時にまた来るように伝える。

 ドリスは家に帰るが、ドリスは弟のこと、母親との関係で問題を抱えており、母親から家を出るように言われ、それに従う。

 翌日フィリップの家を訪ねたドリスは採用されたことを知る。個室を与えられ、フィリップの介護をするように言われる。彼は首から下が不随の状態だった。ドリスは嫌なことは嫌だとはっきりと物を言いながら、少しずつ仕事を覚えていく。そして車椅子用のバンではなく、普通の乗用車でフィリップを連れて出かけるようになる。ある日ふたりは画廊に行く。ドリスから見ると落書きにしか見えない絵をフィリップは4万ユーロで購入、ドリスは非常に驚く。

 フィリップの知り合いがドリスが前科持ちであることを知らせるが、彼はそんなことを気にしなかった。

 ドリスは他の従業員との話からフィリップが文通をしていることを知る。

 ある夜ドリスは緊急の呼び出しベルでフィリップのベッドへ行く。彼は発作を起こしていた。ドリスは落ち着くようにアドバイスをし、空気を求める彼を外に連れ出す。ふドリスはフィリップの体について、セックスについて尋ねる。ドリスは彼に麻薬を吸わせながら話を続けた。ふたりはレストランに行き、フィリップは死んだ妻のこと、不随となったパラグライダーでの事故の話をする。フィリップはドリスを仮採用から本採用にすることに。

 フィリップが文通相手への手紙を口頭で秘書に伝えているのを聞いていたドリスは電話をかけるべきだと話し、実際に電話をかけ、フィリップと相手の女性を話させることに成功する。

 ある日フィリップの娘がドリスの部屋にやって来て、彼の描いている絵の邪魔をする。怒った彼はフィリップに娘のしつけをするべきだと進言する。

 フィリップはドリスの描いた絵を仲間に見せる。ドリスはフィリップの車椅子の速度を上げもっと早く走れるように手配をする。ドリスはマッサージの女も呼び、フィリップにマッサージを受けさせたりもする。

 フィリップの誕生会の日、参加をしない娘を心配したドリスは彼女の様子を見に行く。彼女はボーイフレンドにフラれたばかりだった。ドリスは彼女の頼みを聞く。誕生会が終わった後、フィリップは楽団にドリスの前で様々な曲を演奏させる。ドリスはそれぞれの曲に対する感想をフィリップに話す。ドリスは最後に曲を演奏させ皆と一緒に踊り出す。フィリップはそんな皆を見て微笑む。

 文通相手からパリで会いたいという手紙が来る。ドリスはフィリップにおしゃれをさせ会いに行こうとするが、フィリップはドリスを置いて行く。時間ができたドリスはフィリップの娘のボーイフレンドを脅し、自分の母親の様子を見に行く。

 そんなドリスのところにフィリップから電話が入る。フィリップは文通相手を待たずにレストランから出ていた。すぐに迎えにこいと言われ、行くとふたりはジェットで旅に出ることに。機内でフィリップはドリスの絵が1万ユーロで売れたことを告げ、絵を描き続けるようにアドバイスする。旅の目的はパラグライダーだった。ふたりは補助員をつけ空を飛ぶ。

 旅から戻ると、フィリップの家にドリスの客が来ていた。義弟だった。ドリスが義弟を心配してかけた電話を聞いていたフィリップはドリスと話をする。ドリスの家庭環境を聞いたフィリップは、この仕事を辞めるべきだと話す。

 翌日ドリスは仕事を辞め、義弟と家を出て、母親に会いに行く。フィリップの介護には新しい人間が選ばれ、働き始めたが、フィリップはその彼が気に入らなかった。ある夜、またフィリップは発作に襲われるが、新しい介護人を追い出す。従業員から呼ばれドリスがやって来る。そして映画冒頭のシーンへと繋がる。パトカーから逃れたふたりは海が見える場所へ行き、伸びきったフィリップの髭をドリスが剃ることに。髭を剃ったフィリップをドリスは海の見えるレストランに連れて行く。そしてランチまではいない、デートの相手が来るから、と言い残し、ドリスは去って行く。フィリップの前に現れたのは、文通相手の女性だった…

 

 実話だとのテロップが入る。ちょっと驚き。

 しかしドリスが良い。首から下が不随の障害者であるフィリップを全く障害者扱いしていない。むしろそのこと自体も笑いに変えている。それを受け入れるフィリップ。というか、自分が金持ちでやたら同情されることに飽き飽きとしていた感じがよく出ていた。

 障害者に対して暗いイメージを持ってしまう自分がいけないのだろうが、この映画はまさにそんなものを吹き飛ばしてくれる痛快な映画だった。