捜索者

●206 捜索者 1956

 1868年テキサス。イーサンは弟家族の家に久しぶりに戻ってくる。彼は弟家族が先住民の血を引くマーティンと家族同様に暮らしているのを不愉快に思う。

 そこへ地域の牧師であり警備隊長であるクレイトンがやってくる。近所の牧場で先住民コマンチ族に牛が盗まれたため捜索に出るためだった。弟が行くべきところをイーサンは代わりに捜索に出る。マーティンも着いてくる。盗まれた牛を見つけるが、これはコマンチ族の罠で、男たちが捜索に出た後を狙い家々を襲うためだった。イーサンたちが家に戻ると家は焼かれ、家族は殺されていた。娘のルーシーとデビーは連れ去られていた。

 捜索隊はコマンチ族を追う。しかし道中のイーサンの態度に怒ったクレイトンはイーサンに捜索を任せ帰ってしまう。残ったのは、ルーシーの恋人とマーティンだけだった。3人はコマンチ族を追うが、馬の足跡が二手に分かれていたため別行動で後を追う。合流したイーサンがコートを無くしているのに気づいたルーシーの恋人がそれを指摘するがイーサンはとぼける。

 3人はコマンチ族の居場所を突き止める。ルーシーの恋人はコマンチ族の中にルーシーの服が見えたことで彼女が生きていると希望を持つ。しかしイーサンは二手に分かれた谷でルーシーの遺体を発見した、そこにコートをかけてきた、と告白。するとルーシーの恋人は単独でコマンチ族を襲撃しに行き、返り討ちにあって死んでしまう。

 イーサンとマーティンは追跡を続ける。デビーの服の切れ端を郵便で送ってきた交易商と会い、コマンチ族の居場所が判明する。しかし交易商が2人の跡をつけて襲ってきたため、イーサンは彼らを撃ち殺す。

 2人は他の先住民たちと交流し、コマンチ族の情報を手に入れる。その間話の行き違いでマーティンは先住民の女と結婚することになる。その女が2人の追跡について来たため女から情報を聞き出そうとしたが、女は夜逃げ出す。その後2人は軍隊が先住民を捕まえに来たのに遭遇する。軍の居留地に行き、白人の生き残りと会うが、デビーはそこにはいなかった。

 イーサンたちはコマンチ族のリーダーの居場所を知っている老人と出会い、彼の誘導でコマンチ族に会いに行く。そこにはデビーがいた。しかしデビーは長いこと助けに来てくれるのを待っていたが、誰も来てくれなかった、今は族の一員だ、だから帰ってほしい、と2人に懇願する。それを聞いたイーサンは激怒し、デビーを撃ち殺そうとする。デビーを妹同様に思っていたマーティンがそれを食い止める。その時イーサンがコマンチ族の矢で射られる。2人はなんとか逃げ出す。 

 2人は5年ぶりに家に戻る。そこでは結婚式が行われようとしていた。花嫁はかつてマーティンの恋人だった女性だった。しかし便りがないため彼女は他の男性と結婚しようとしていた。花婿とマーティンは殴り合いの決闘をする。そこへ軍からの応援要請がくる。コマンチ族が付近に現れたためだった。牧師をリーダーに再度警備隊が結成される。彼らは軍の到着前にコマンチ族を襲撃し倒す。デビーを見つけたイーサンは逃げる彼女を追う。そして追いつき彼女を抱え上げ一緒に家に帰ろうと話す。

 

 全く知らない映画だったが、wikによればアメリカでは非常に高い評価を得ている一本だとのこと。『ジョン・ウェインの西部劇』は何本も見て来たが、ここまで先住民を完全な悪として描いているのも珍しい。その残虐性はストレートで表現されていない分だけ(白人の頭の皮のエピソード、毛髪を槍につけている、など)、怖さもある。もちろん先住民側の言い分も描かれているが(先住民からすれば、白人に家族が殺されたことへの復讐)、イーサンの先住民に対する嫌悪感もストレートに描かれる。

 なぜアメリカで高評価なのか?よくわからない。ストーリー性というよりも、数年も追跡を続け家族を取り返したことなのか。アメリカを作って来た西部時代のその精神なのか。それともそんなことではなく、カメラワークのうまさなのか。冒頭とラストの家の中からのカメラは魅せるし、数は少ないが怒ったウェインのアップもなかなか迫力があった。

 しかし正直に言うとストーリー的にはよくわからない部分も多かった。2人の追跡が5年に及んだ、と言うのはセリフからしかわからなかった(だからデビーが成長していたのね)し、デビーの服の切れ端を送って来た交易商がイーサンたちを襲った理由も不明だし、あれだけ先住民になったデビーを嫌っていた(殺そうとまでしていた)イーサンが最後はあっさり許してしまうし。映画だから、と言えばその通りなのだが。

 しかし50歳(前?)のジョン・ウェインはとにかくカッコ良い。後の映画にも影響を与えた、と言うのは理解できる。