ライムライト

●241 ライムライト 1952

 「華やかなライムライトの陰で 

  老いは去り 若きが登場する

  これはバレリーナと道化の物語」

 1914年ロンドン夏の午後、カルベロは自宅アパートに戻った際に1階でガス自殺を図ったテレーザを助け、自分の家に連れてくる。そして生きることの大切さを語る。

 その夜カルベロは自分の絶頂期の舞台の夢を見るが観客席には誰もいなかった。

 翌日カルベロはテレーザから自殺の理由を聞く。彼は人生の意味を説く。その夜カルベロはテレーザと舞台で共演している夢を見る。

 翌朝テレーザは脚が動かないと訴える。カルベロは医者を呼ぶ。彼には仕事の依頼の連絡が来て、打ち合わせに出かける。プライドが許さない仕事だったが引き受けることに。帰って来ると医者がおり、テレーザはどこも悪くなく、脚が動かないのは心の問題だと言われる。

 カルベロはテレーザの過去について聞く。姉が街角に立ち、生計を支えていたこと。愛した男は文房具屋に勤めていた時に来ていた音楽家の若い男ネビルだということ。ネビルが音楽家として成功したこと。カルベロはいつかテレーザとネビルが恋に落ちることを予言する。もう踊れないというテレーザをカルベロは励ます。

 次の日からカルベロはテレーザが歩く練習をする。カルベロに仕事の話が舞い込むが彼はテレーザには内緒にしていた。彼は仕事に行くが、彼の出番の最中に客は皆帰ってしまう。彼は家に帰り、テレーザに仕事が上手く行かなかったこと、クビになったことを告げる。テレーザはカルベロを励ます。その時興奮した彼女は立って歩くことができるようになっていた。

 6ヶ月後、テレーザはバレリーナとして仕事をしていた。その舞台監督がカルベロに仕事を頼みたいとテレーザに話す。家に帰った彼女はカルベロにその話をする。翌日カルベロはテレーザとともに劇場へ行き、仕事を得る。テレーザはオーディションを受けることに。オーディションは作曲家ネビルが弾く音楽に合わせ即興で踊ることだった。彼女は合格しプリマとして採用される。彼女はカルベロに結婚を申し込むが彼は断る。

 翌日テレーザは一人で食事をする際、ネビルと一緒になる。ネビルは文房具屋での話をする。テレーザはもうすぐ結婚することを告げる。

 新しい舞台が始まる。バレリーナと道化の物語だった。本番の出番直前テレーザは脚が動かないと言い出すが、カルベロは平手打ちをしテレーザに舞台に出るように命じる。彼女は見事に踊り、舞台は大成功をおさめる。舞台後のパーティでカルベロはテレーザに会わず一人先に家に帰る。それを聞いたテレーザも家に帰ろうとするが、心配したネビルが一緒について来る。家の前でネビルはテレーザに愛の告白をする。それをドアの中で聞いていたカルベロ。

 翌日カルベロは家を出て行くとテレーザに話す。

 劇場の支配人は舞台について道化役を変える相談をしていた。しかし道化役がカルベロだと知り交替は断念する。劇場に入ろうとしたカルベロは昔の仲間と出会う。彼は道化役がダメだから稽古を見ろと言われて来たと話す。

 その日テレーザが家に帰るともぬけの殻に。カルベロの置手紙が残されていた。

 舞台はヨーロッパ公演を行い成功をおさめる。

 その頃カルベロは仲間たちと街角で大道芸人をしていた。金をもらうために入った店でカルベロはネビルと支配人と出会う。ネビルから話を聞いたテレーザはロンドン中を探しカルベロに会いに来る。テレーザは支配人がカルベロの公演を考えていることを告げると、カルベロにも考えていた新しい芸があり、話を受けることに。

 カルベロ記念公演が行われる。禁じていた酒を飲み、舞台にのぞむ。彼の芸は大歓声で迎えられる。そしてアンコール。そこで彼は舞台から落ちてしまい背骨を痛める。それでも彼は最後のアンコールに上がり観客に挨拶をする。医者が呼ばれカルベロは小道具部屋に運ばれるが、そこで心臓発作を起こす。彼はテレーザの舞台が見たいと言い、舞台袖に運ばれる。テレーザが踊る中、彼は息を引き取る。

 

 チャップリンが「殺人狂時代」に続き、「チャーリー」スタイルを取らずに製作した映画。「殺人狂時代」はシリアスなテーマの割にコメディシーンも多かったが、本作は「道化カルベロ」の舞台シーン以外はコメディシーンは皆無。つまり喜劇ではない。だからチャップリンの映画、のつもりで観ると肩透かしにあったような気がする。

 人生を応援する、という点はこれまでと同じだが、この映画はそこがポイントでもないように思う。この映画のテーマはおそらく冒頭の画面に表示される文章(「華やかな〜」)そのままなのだろう。老いた道化が最後まで舞台に見せた執念、全盛期の喝采を浴び、そして舞台で死んで行く。よく芸人さんたちが言う「理想の死に方」そのものだ。例の赤狩りの影響で、これがアメリカで製作された最後のチャップリン映画らしいが、やはりチャップリンは「芸人としての最後」を描いておきたかったのか。

 映画そのものとしては、舞台〜道化、バレー〜をそのまま写すシーンが長く、冗長だと感じるが、これも映画として残しておきたかったのかなぁ。

 ある意味チャップリンの最後の映画、そしてあの有名な曲にのってのラストシーン。あぁチャップリンを一通り見終わった、と思う。しかし良い曲だなぁ。