バニー・レークは行方不明

●296 バニー・レークは行方不明 1965

 アンはロンドンへ引っ越してきて、娘のバニーを保育園に預ける。しかし先生と会うことができず、調理師の女性にそのことを話し、家に戻る。家には引越しの荷物がちょうど届き、室内に運び込むところだった。そこへ大家が訪ねてきて、色々とアンに話しかけるが、アンは買い物へ出かける。

 娘を迎えに行く時間になり保育園に行くが、バニーが見当たらない。先生たちに話すが、4歳児担当の先生は外出中でらちがあかなかった。責任者に会いに行くと、調理師が今日辞めたことがわかる。アンは兄に連絡、兄のスティーブンも保育園に駆けつける。アンとスティーブンは2人で保育園の中を探し始める。そこで2人は保育園の創設者の1人フォードと出会うが、彼女もバニーのことは知らなかった。

 先生たちは反対するが、2人は警察を呼ぶことに。ニューハウス警部が担当となり、2人から話を聞く。アンがバニーを初日の部屋に置いて出た10時5分前から、次に先生が初日の部屋に入った10時5分までの10分間にいなくなったことが判明する。警部はバニーの写真を求め、パスポートを取りに家に戻る。すると家にあったバニーのものが全て無くなっていた。しかしお金などは無事で、不可解だった。

 警部はアンにイギリスに来てバニーを見た人たちのリストを出すように求める。アンは警部がバニーの存在を疑っているのではと悲しむ。警部はフォードと話をし、スティーブンがアンは子供の頃妄想癖があったと話していたと聞く。さらに警部の調べで、保育園にバニーの保育料が収められていないことも判明するが、スティーブンは支払明細を見せ、両者の意見が食い違うことに。

 家に1人でいたアンの元へ大家がやってくる。状況を説明するが、大家は聞く耳を持たず、アンを口説こうとさえする。警部はスティーブンからアンの家庭環境を聞く。家に警部たちがやって来て、大家の家も調べる。大家はちょっとした変態だった。

 警部はアンを食事させるためにパブへ誘う。そこでアンの家庭環境について問いただす。そこへスティーブンが来て、警部に怒る。アンとスティーブンは家に戻る。そこでアンはバニーの人形を修理に出したことを思い出し、修理屋へ。警部たちはアンが乗って来たという船の乗客名簿を調べていた。

 修理屋についたアンはバニーの人形を見つける。そこへスティーブンが現れ、アンが目を離した隙に人形を燃やしてしまい、アンを気絶させ、病院へ入院させる。アンは看護婦たちの目を盗み、病院から逃走、家に戻る。そこにはスティーブンとバニーがいた。

 スティーブンはアンの気持ちがバニーにばかり行くことに腹を立て、バニーを殺そうとしていた。アンはスティーブンの気を上手く逸らしつつ、バニーと逃げようとする。しかしスティーブンの手に落ちてしまう。その攻防が繰り返される中、警察が家にやってくる。やっとアンはバニーを手に抱くことができた。

 

 全くタイトルも知らない1本だったが、とても面白かった。ラストまで一気に観入ってしまった、といったところ。

 ネットで多くの人が書いているが、この映画の一番のキモは、行方不明なバニーが映画冒頭からずっとその姿を見せないことにある。最初は娘がいなくなって半狂乱になって行くアンに同情して観ているが、警部の捜査が進むうちに、あれっ?もしかして?と観ている側も思い始めてしまう。この映画の上手さはここにある。

 さらに脇役たちの怪しそうなことったらない。冒頭の調理師の女性、大家の異常性、保育園の創設者の女性。一癖どころではないおかしな人たちばかり。犯人と関係しているのでは、と十分に思わせる。

 そしてラスト30分、突然真相が見えてくる。真相解明はもっとラストギリギリで良かったと思うが、真の犯人の異常性を描くのに30分が必要だと思ったんだろうなぁ。ここがもう少しコンパクトにまとめられていたら、もっと良くなっただろうに。

 人物消失ものは「バルカン超特急(1938)」が、犯人の二重人格?は、「サイコ」が、それぞれ扱っているが、この映画は両者をミックスさせた面白さといえば、わかりやすいか。

 観終わって冷静に考えてみると、保育園にバニーがいることを知っており、家に出入りができバニーのものを盗むことが出来た人間は、アン以外に1人しかいないことに気づく。スティーブンの異常性も途中途中でちょっと垣間見えており、納得のラスト。いやぁ見事な1本だった。