ライフ・イズ・ビューティフル

●348 ライフ・イズ・ビューティフル 1998

 1939年ユダヤ系イタリア人のグイドは、友人で詩人のフェルッチョとともに都会に住む叔父の家にやって来る。フェルッチョは椅子作りの手伝いを、グイドは叔父がやっている店でウェイターとして働く。グイドは街でドーラと出会い一目惚れし、再会した時に彼女が学校の教師であることを知る。

 グイドは店で医者の客となぞなぞ遊びをし気に入られ、またローマからの視察官が翌日ドーラの学校に視察に行くことを知り、視察官に化けて学校に潜り込み、休日ドーラが観劇に行くことを聞き出す。

 劇場へ行ったグイドは婚約者といたドーラを車で連れ出し雨の中家まで送る。

 グイドの店でドーラの婚約披露パーティが行われる。グイドがいることに気づいたドーラはテーブルの下でグイドとキスをし、店から連れ出してと頼む。グイドはケーキとともに馬に乗って現れドーラを店から連れ出し家へ連れて行く。

 二人は結婚し子供ジョズエが生まれる。ジョズエが成長し平和な日々を送るが、戦争の影が迫って来ており、ユダヤ人は迫害され始めていた。そしてグイド、ジョズエ、叔父は収容所へ連れて行かれることに。列車で連れて行かれることを知ったドーラは自分も列車に乗ることに。

 収容所では男と女は別々に収容され、叔父はガス室送りになる。それでも常に明るく振舞っていたグイドはジョズエにこれはゲームだと言って聞かせる。子供達がガス室送りになる中、かくれんぼだと言いグイドはジョズエを隠し続ける。

 そして戦争が終わる。収容所内は大騒ぎになる。グイドはジョズエを隠しドーラを探しに行くが、ドイツ兵に見つかってしまい射殺される。しかしジョズエはグイドの言いつけを守り最後まで隠れていたため、連合軍の戦車によって助けられ、収容所から逃げ延びた母親と再会する。

 

 この映画はズルい(笑 何から何まで良くできている。

 前半、驚くほど陽気なグイドの姿と生き方が描かれ、後半、それが一気に反転する。グイドの生き方そのものは変わらないが、「あの」収容所での暮らしとなってしまう。

 その前半には、様々な伏線が張られている。帽子の取り替え、窓から投げられる鍵、医者とのなぞなぞ遊び、お風呂嫌いのジョズエ、他にもあるかも…。これらの伏線が見事に回収されて行くのは本当に見事。最初は昭和時代のコントかと思うようなこれらのシーンも伏線だったとは、と驚いた。

 後半、収容所内での生活で普通ならば悲惨な状況を描くのだろうが、この映画ではひたすらに明るくジョズエに話すグイドを描く。先日読んだ山田洋次監督の「悲劇を悲しく描くのは簡単だが、悲劇を明るく描くのは難しい」という言葉が思い出される。

 さらにさりげなくグイドのドーラへの愛も表現されている。ドーラに知らせるために放送を使ってメッセージを流すシーンやレコードで音楽を聴かせるシーンも。

 そして映画の冒頭。ラスト近くでグイドがジョズエを抱いて霧の中を歩くシーンがあるが(この映画で収容所の悲惨さを唯一?見せるシーン)、この霧の中のシーンが映画冒頭に使われていた、と映画を見終わって気付いた。

 後半、気の重くなるシーンの連続だったが、ラストのジョズエとドーラの再会シーンで本当に救われる。いやぁ久しぶりに名作を観た、という感じがする。

 

 

ライフ・イズ・ビューティフル (字幕版)

ライフ・イズ・ビューティフル (字幕版)

  • 発売日: 2016/12/01
  • メディア: Prime Video