男はつらいよ お帰り寅さん

●163(再) 男はつらいよ お帰り寅さん 2019

 初見の時のブログはこちら。このブログでは同じ映画を取り上げることはしないが、今回は特例ということで(笑

 

 今回BSテレ東で放送されると知り、2週間前に第48作を鑑賞、youtubeで劇場公開時の舞台挨拶やインタビューを見て、さらに公開前にNHKで特集された山田洋次監督の特番を見た。さらに当日は、その前日に同じBSテレ東放送された、山田洋次監督による名場面編集の特番を見て、そのままの流れで50作を鑑賞。

 

 初見時と大きく異なるのは、舞台挨拶やインタビューなどで監督がこの映画に込めた思いを再確認してから観た、ということ。私が大きく勘違いしていたのは、この映画に込められた思いだった。「いま、幸せかい」というメッセージとともに監督が何度も繰り返し話していた、「寅は周りの人間の幸せのために働き、周りの人間が幸せになることがそのまま寅の幸せだった」、というメッセージこそが、この映画に監督が込めた大きな思いだったのだと改めて感じることができた。

 その視点でこの映画を見返すと、登場人物のほとんどが、自分の周りにいる人たちの幸せを願って発言したり行動したりしている、ということ。満男の再婚を願う亡き妻の父親、難民の幸せを願う仕事をしている泉、娘に優しく問いかける満男…。皆同じ思いを持っている。

 寅さんはストーリー上登場しないが、寅さんが大切にしてきたことを寅さんの周りにいた人々が同じように大切にしている、というのがよくわかる。

 

 もう一つ鑑賞していて気になったのは、寅さんの生死。これについては直接は語られない。それでも2箇所ほど気になる場面があった。

 冒頭、参道を歩くさくらと満男が会話で、さくらが「あんたは父親と会話したことなんてあるの?」と問いかけると満男が「俺にはおじさんがいたじゃないか」と答える。聞き様によっては、おじさんがいたのが過去の話=おじさんはもうこの世にはいない、とも聞こえるが、まぁどちらにも取れる感じか。

 もう一つは、泉がとらやに来た時にさくらが泉に泊まっていくように勧める場面。泉が本当の良いのか、と尋ねるが、さくらが答える。「お兄ちゃんがいつ帰って来ても良いように(2階が)空いてるのよ」 これはもう間違いなく寅さんはストーリー上生きている、という証だろう。この場面でそれに気づいて泣いてしまいそうになった。

 しかし観終わった後、冷静に思い返してみると、やはりこれまた冒頭の7回忌の場面、仏壇の中には、満男の妻の写真とともに、おいちゃん、おばちゃんの小さな遺影があった。そうなのである。もし寅さんが亡くなっているとしたら、ここに写真がなくてはおかしいのだ。そう、映画冒頭で既に寅さんはまだ生きている、と宣言されていたのだ。

 

 初見の時にも思ったが、やはり昔の映画の画面が美しい。これまた冒頭、駅から帰る満男とユリをさくらが見送るのだが、2人が電車に乗った直後、回想シーンとなる。その場面で電車の扉のガラスにホームにいる寅さんが写り込むのだが、回想シーンとは一瞬わからないため、寅さんがそこにいるのかと思ってしまった。

 

 そしてラストの4分近いマドンナのラッシュ。そのままエンドロールが流れ始めて、さらに渥美さんによるテーマ曲。やはりこのラストシーンでは泣いてしまった。見事な50作の、そして男はつらいよの壮大なラスト。言うまでもないことだが、寅さんは死んではいない、しかし「男はつらいよ」シリーズはこれで完結しますよ、と言うメッセージがひしひしと伝わってくる。

 

 やっぱり良い映画だった。「男はつらいよ」がますます大好きになってしまった。