砂漠の鬼将軍

●388 砂漠の鬼将軍 1951

 1941年11月、イギリス軍はドイツ軍の名将ロンメル暗殺のために北アフリカリビアへ部隊を送り込むが失敗。

 1942年6月、ドイツ軍捕虜となったイギリス軍ヤング中佐は、ドイツ軍人から国際協定違反の命令を下されるが、ロンメル将軍がそれを制止する。ヤングは戦後、ロンメルのことを調べ始める。

 

 1942年10月、アフリカ戦線にロンメルは病気から復帰するが、部隊への補給などがなく苦戦をする。ロンメルは撤退を決め本国に連絡するが、ベルリンからの指示は撤退はならぬ、勝利か死か、というものだった。ロンメルは本国の指示を無視、撤退をする。

 ドイツに戻ったロンメルは入院、その病院へ妻と息子、旧知のシュトローリン博士がやってくる。博士はヒトラーを批判する。

 戦線に戻ったロンメルは大西洋防衛戦を視察、そこで西方軍総司令官ルントシュテットと会い、お互いの本音をぶつけ合う。

 1944年2月、自宅にいるロンメルの元へシュトローリン博士がやってきて、ヒトラーの辞職を仲間たちと画策していることを告げる。ロンメルは自身の身の振り方に迷う。

 1944年6月、連合軍のノルマンディー上陸作戦が開始。ロンメルルントシュテットと話し合うが、部隊への指示は本国から出されており、二人ともに指揮権はなかった。ロンメルヒトラー失脚に手を課すことを決意し、ルントシュテットにも話すが、彼は自分は歳をとりすぎたと話し現場から去って行く。ロンメルヒトラー暗殺計画の準備が整ったことを聞き、ヒトラーに面会しに行き、戦線の実情を話すがヒトラー聞く耳を持たなかった。

 1944年7月、ロンメルは車での移動中に敵機の攻撃を受け負傷する。同月、ヒトラーの暗殺計画が実行されるが失敗に終わる。

 1944年10月、ロンメルの自宅にヒトラーからの使者2名が、ロンメルの反逆罪の通知を持ってくる。裁判を望むロンメルだったが、家族の安全を持ち出され、ロンメルは指示に従い自決を受け入れる。

 

 タイトルから、ゴリゴリの戦争映画だと思っていたが、内容はロンメル将軍の晩年の3年間?を描いたものだった。砂漠の狐と謳われた名将が戦場で感じたヒトラーの狂気が歴史物に弱い自分にもとてもわかりやすく描かれていた。戦闘シーンはおそらく本物の映像なのだろう。その迫力に圧倒されたが、本当に怖いのは独裁者だ。

 周りの人間の言うことを聞かない独裁者は、どんな組織にいてもダメであることを痛感する。日本がそんな国にならないことを祈るだけだ。

 

 

砂漠の鬼将軍(字幕版)

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