暁 武者小路実篤全集 第十巻より

●暁 武者小路実篤全集 第十巻より

 吉元小次郎は四十何年絵だけを真面目に描き続けてきた老画家。娘の春子からは大きな絵を描くように勧められるがそれを拒んでいた。昔からの友人で画家の村野は一流の画家になっておりその絵も高く売れていたため、春子は父にもそうなって欲しかったし妹の冬子が嫁に行くためにも父に稼いで欲しかったのだ。春子は父に冬子をモデルにして大きな絵を描くことを勧めそれが出来たら個展をやるように勧め、父も了承する。

 翌日春子は冬子を自宅に招く。そしてモデルの話を伝え、父の手紙を読ませる。冬子は父の想いを知り、モデルになることを了承し、父は冬子の絵を描き始める。

 春子は村野の家を訪ねる。春子が父に個展をやるよう勧めたのは実は村野のアイデアだった。春子は父が個展をやる気になったことを村野に伝える。

 小次郎が冬子の絵を描き始めしばらく経った時、村野が小次郎の家を訪ねてくる。そして彼の絵を褒め、小次郎は喜ぶ。小次郎は冬子の絵の構図で悩んでいたが、ある時雨戸を開けた冬子が暁の空を眺める構図を思いつく。これで「描ける」と自信を持った小次郎は村野の家を訪ね彼の仕事ぶりを見て、さらに闘志を沸かせる。

 展覧会の日取りも決まり、小さい絵を完成させた小次郎は百号のキャンパスに取り組み始めるが、冬子の顔に淋しいものが宿っていることに気づき、絵を描くのをやめてしまう。心配になった小次郎が春子に相談に行くと、春子は冬子を翌日我が家へ寄越しなさいと話す。翌日冬子は春子の家へ。

 春子は冬子に結婚を勧めるつもりでいた。相手は昔父の弟子だった沢辺という画家で、彼は父の元を離れ欧州へ行っていたが最近帰国していた。彼は父の絵を褒めていたが、昔のことがあるため、春子は沢辺を父に会わせないでいた。しかし春子は沢辺が冬子のことを愛していることを確信していた。冬子は春子の家で用事を言いつけてられてばかりで帰ろうとするが、そこへ春子の夫が沢辺を連れて帰って来た。冬子も沢辺のことを愛していたのだった。

 家に帰って来た冬子が元気を取り戻していたことに小次郎は気づく。冬子は沢辺から小次郎を守るつもりでモデルをするようにと言われていたのだった。小次郎は百号の絵を完成させる。小次郎は妻純子の顔を描き始める。小次郎の家へ沢辺が訪ねて来て、小次郎の絵を褒める。

 個展前日、すべての絵が揃ったのを見た小次郎は自信を失い帰ろうとする。それを春子が卑怯だと止め、小次郎は帰るのをやめる。

 個展が始まり小次郎の絵が少し売れる。翌日新聞に村野が小次郎の個展のことを書いた評論が掲載され、多くの人が個展を訪れ、絵も多く売れる。

 個展が終わった翌日、公園に絵を描きに行った小次郎を冬子が追ってくる。小次郎は冬子が沢辺のことを話しに来たことに気づいており、二人の仲を許す。

 

 武者小路実篤は学生の頃にハマり、恋愛ものは一通り読んだ。「友情」「愛と死」「棘まで美し」「若き日の思い出」「幸福な家族」など。先生ものも馬鹿一なども読んでいる。

 しかし今回読んだ「暁」はその存在すら知らなかった。前から実篤の作品が映像化されたものを見てみたいと思っていたが、Amazonプライムで「暁」を原作とした「いのちの朝」という映画が観られることを知り、まずはということで原作を読んだ。

 これまで読んだ作品の中にも画家はよく登場する。実篤自身をモデルにしているのだろう。どの作品に登場する画家も、「売れる」画家ではないが、誠実に絵を描き続けている。今回もまさにそんな画家を父に持つ家族の物語だった。

 しかし「絵」を題材にした小説はやはり難しい。小説では「絵」の上手さや誠実さがあまり伝わらないから。この作品でも主人公小次郎の周りの人間たちが小次郎の絵を褒めるが、それしか小次郎の絵の良さを表現する方法はない。仕方ないところか。

 小次郎が冬子がいないことにイライラしたり、最後の個展が友人の手により大成功に終わったりするところは、これまで読んだ作品でも使われている手法で、懐かしく思った。

 さて原作は読んだので、これで映画を楽しむことができる。