あ・うん

●403 あ・うん 1989

   門倉が水田のために一軒家の借り、迎え入れる準備をする。水田家はその家に門倉が待っていることを期待していたが彼はいなかった。門倉は水田家へ行かず家で妻と過ごしていたが、ラジオを忘れ結局水田家へ。

 門倉は栄転祝いで水田と神楽坂で飲みことに。その店で水田は芸者まり奴と出会う。

 門倉の妻君子が水田の娘さと子に見合いの話を持ち込む。君子は水田の妻たみに自分も仲間に入りたいと愚痴を言う。さと子は見合い相手の石川と会い、石川に惹かれる。 見合いの裏で水田は会社の上司の5000円の使い込みが発覚したこと、ジャワ支店の設立の話が持ち上がっていることを門倉に話す。門倉は水田の家を訪ね、5000円を都合する、水田はそれを妻たみに話す。

 門倉は仕事が立ち行かなくなり、家のものを売りに出す。そこへ水田の妻たみと娘さと子が訪ねるが、その場でさと子は病気で倒れてしまう。さと子を病院へ門倉とたみが連れて行く。さと子が倒れたことを知り、石川が見舞いにと本と果物を持ってくる。

 門倉が水田の家を訪ねる。水田は留守でたみが対応、たみは5000円のことで礼を言うが、門倉の会社の経営が傾いていることを知っており、お互いの家の差を理解して欲しいと話す。門倉は会社の実情を話しそれでもいままで通りおつきあいをしてもらえるかと話す。

 そんな二人を見ていたさと子は石川にその話をすると、石川は二人の愛はプラトニックだと話す。さと子と石川が喫茶店であっているのを見た軍人が石川に戦争を理由に二人を非難する。

 仕事相手と飲んでいた水田は街中でまり奴と出会う。水田は門倉の会社へ行き5000円のお礼を言う。門倉の会社は持ち直していた。たみの言葉のおかげだと門倉は話す。

 水田はまり奴の店へ毎晩通うようになる。水田はまり奴をジャワへ誘う。たみは水田の変化を怪しく思い門倉を家に呼び水田のことを相談するがそこへ水田が帰ってきて遅くなった理由を門倉のせいにする。しかしそこに門倉がいたため水田は開き直る。門倉は水田を芸者に引き合わせたのが自分のためそのことをたみに謝る。

 たみは水田の会社に電話するが水田は昼から早引きをしまり奴の店へ。しかしまり奴は引かされていた。絶望した水田は家に帰るが、たみからさと子が書置きをして家からいなくなっていたことを知らされる。二人は書置きにあった修善寺の宿へ。そこへ門倉がやってきてさと子が活動写真を見ていただけと知らせる。水田夫婦が駆け落ちしたと誤解され3人は笑い合う。そして3人で宿に泊まることに。

 門倉の妻君子が探偵に調べさせ門倉が浮気していることを突き止めたと水田家に知らせに来る。そこへ怒鳴り込みに行くと言う君子だったが、水田がついて行くことに そこにはまり奴がいた。門倉を問い詰める水田は、まり奴を奪われたことも含め門倉を責める。門倉は水田がまり奴に惚れていたため彼女を引いたと白状する。しかし水田は門倉がたみが泣くのを悲しみ大金を使ったことを非難、水田は門倉に顔を見せるなと宣言する。

 さと子が石川と会っている時に特攻に押し入れられ二人とも捕まってしまう。さと子は釈放してもらうが、水田夫婦はさと子のことが心配で門倉にさと子を説得してくれと頼むが、門倉は「実らないとわかってても人は惚れるんだよ」と話す。

 門倉は水田の家を訪ねた際、たみが夫の服をまとい一人で歌いながら踊っているところを見てしまう。

 門倉は水田を誘い芸者遊びをするが、その場で水田を卑下する。怒った水田は謝罪を求めるが、門倉は追い討ちをかける。水田は冷静になり話そうとするがそれすらも門倉は拒否し、水田は絶交を宣言する。

 門倉はさと子と会う。さと子は3人の関係性について門倉に問う。門倉は石川のことを問う。さと子はベルヌールの詩を口ずさむ。門倉は言う「人生には諦めなくちゃいけないことがあるんだよ、人生ってねもっともっといいものなんだよ」

 日本は戦火が厳しくなってきていた。門倉は街で出会った老人と屋台で酒を飲み水田とたみのことを話す。老人に会えばいいんだよと諭される。

 水田はジャワ支店行きが決まり、たみとさと子に話す。その時水田家へ門倉が訪ねて来る。止める水田をよそに門倉を家に招き入れるたみ。玄関先の門倉と振り返らない水田がお互いを想った会話をする。去ろうとする門倉を水田は泣きながら引き止める。

 さと子がジャワについて行かないと話したところへ石川が訪ねて来る。石川に召集令状が来たのだった。帰って行く石川を追うようにさと子に言う門倉。

 ラスト、3人で飲みながら門倉は石川の行く末、さと子の今夜のことを話す。

 

 

 健さんの映画「健さん」を観てどうしても健さんの映画が観たくなって観た(ややこしい 笑)。 原作は昨年初めに読んでいるが、映画を見ている間も見終わった後も違和感が残った。仕方なくもう一度原作を読み直すことに。

 結果、違和感の正体がよくわかった。原作での登場人物2名を映画ではバッサリと切り落としているためだ。一人は水田家の祖父(水田の父)初太郎、もう一人は門倉の妾禮子。二人とも原作では重要な役割を果たす。

 

 初太郎は水田との仲が悪く、その分門倉が初太郎と仲良くし、金がらみの事件なども起こす。さらに途中で初太郎は亡くなり、その後初太郎の弟が水田家にやって来てある問題を起こす。そこでの門倉の妻君子のセリフが原作のテーマを鋭く突いている。

 禮子は門倉の妾であり、門倉の子供を産む。映画では描かれなかったエピソードとして、原作冒頭で水田の妻たみが妊娠していることが判明した後、門倉が女の子だったら子供をくれないかと言うシーンがある。結局たみは流産してしまうが、子供が欲しかった門倉が禮子との間に子供を授かる、ということになる。

 

 この二人をバッサリと切ったのは2時間の映画にまとめるため仕方ないだろうが、そのため原作との相違が明らかになる。門倉が無類の女好きであることが映画では上手く描かれていない。女好きであっても、たみの前では何も言えなくなる門倉、ということの表現がこのため弱くなってしまっているのである。

 また初太郎がいないため、先の述べた門倉の妻君子のセリフも登場しない。ある意味、この原作の最大のテーマを指摘している部分なのだが…。

 原作との違いで言えば、ラスト近く、絶交した門倉が老人と出会い酒を飲み諭される場面があるが、原作ではあれが丸々水田の身に起きることだった。それを映画では全て門倉の身に起きたこととして描かれる。絶交をした相手の家へ行く理由として、老人との会話を門倉の身に起きたこととしたのだろうが。

 

 いずれにしても、主要な登場人物2組の夫婦と祖父、娘、妾の7名だったのを5名としたため、話が窮屈になっている感じがする。映画を観たときの違和感の一つは門倉の妻君子が画面に登場することが多いと感じたこと。原作では君子はここ一番にしか出てこないためだ。

 これらのことがあり、映画は原作のメインのテーマである門倉と水田夫婦の関係性をわかりやすく描きすぎた感じがする。原作を知らない人が観たら、金持ちでありながら恐妻家の男が、親友の妻に横恋慕している、だけと感じるかもしれない(笑

 

 それでも、昭和初期の設定、しかも一般人であり最高にダンディな健さんはカッコ良く、珍しく酒に酔う健さんの姿も観られる。さらに冨士純子さんと健さんの共演は「緋牡丹博徒」ファンだった人々にはたまらないだろう。

 冨士純子が踊っているのを見て、家に戻り同じように踊って後にあぶねえなと呟く健さんも可愛かった(笑