シマロン

●453 シマロン 1960

 1889年、セイブラは、親の反対を押し切り、結婚したばかりのヤンシーとオクラホマで行われる土地獲得競争ランドランに参加するために旅立つ。途中ヤンシーの昔の知り合いの若者キッドや大家族持ちのトムと出会う。

 ランドランの集合場所でヤンシーは先住民をいたぶる男たちを戒める。また育ての親であるサム夫妻と出会う。いよいよランドランに参加するが、ヤンシーはかつての恋人ディクシーにだまされて土地獲得に失敗する。そしてサムがランドランで死んだことを知ると、彼の新聞オクラホマ・ウィグワム紙を引き継ぎ、オセージの街で新聞社を立ち上げる。

 街で先住民をいたぶっていた男たちが騒ぎを起こす。そこにはキッドも加わっていた。ヤンシーはキッドを叱るが彼は気に留めていなかった。ある日先住民の妻がヤンシーに助けを求めてくる。例の男たちが先住民を吊るしクビにしていた。ヤンシーは怒り男を射殺する。ヤンシーが先住民の妻と子を家に連れて帰ると、セイブラが出産をしていた。

 トムは石油掘りを始める。ある日キッドたち3人が指名手配されていることをヤンシーは知る。彼らはオセージの街を襲うが住人に反撃され、学校に立てこもる。それを知ったヤンシーは銃を捨てキッドたちと話し合いをしようと学校へ。キッドたちは仲間割れを起こしキッドは撃たれてしまう。ヤンシーはもう一人を射殺する。ヤンシーは英雄となり懸賞金をもらうが、彼はそれを破って捨ててしまう。セイブラは子供のためにお金は必要だと話すが、ヤンシーは人を殺してお金を得ることに反対する。

 ヤンシーはディクシーに頼まれ、彼女の土地売買のための書類を作成する。ディクシーはヤンシーにまだ掘れていたが、ヤンシーは彼女を拒絶する。

 一緒に暮らしていた先住民の娘が学校へ行く年齢になる。一緒に学校へ行くが学校側は先住民を拒絶、ヤンシーは訴えるが教育委員会も同様の決定をする。

 チェロキーでランドランが行われることを知ったヤンシーは家族で行こうとするが、セイブラは猛反対する。結局ヤンシー一人で行くことに。その間セイブラは一人で新聞社を継続させる。5年が経ってもヤナシーは帰ってこなかった。セイブラはディクシーにヤンシーのことを聞きに行く。そしてヤンシーはセイブラだけを愛していると言われ安心する。

 ヤンシーは義勇騎兵隊に参加していたが、5年ぶりに家に帰ってくる。ヤンシーはこれからは家族を大切にすると話す。トムが掘っていた石油がとうとう発見され、街は潤う。ヤンシーはトムたちが先住民から石油の権利を買い占めたことを新聞ネタにする。そんな時、ヤンシーに知事になる誘いが来る。セイブラは息子シムが同居していた先住民の娘と仲良くしているのを見て心配する。

 ヤンシーとセイブラが、知事になる件でワシントンへ行くとそれがトムたちの懐柔策であることを知らされ、ヤンシーは知事になることを断る。それを知ったセイブラは激怒、ヤンシーに自分の前から消えてと話す。

 一人となったセイブラは新聞社を発展させて行く。息子シムは先住民の娘と結婚して家を出ていってしまう。新聞社が25周年となり仲間たちがセイブラのために祝賀会を開く。そこにはシム夫婦も参加していたが、ヤンシーは不在だった。その時第一次世界大戦の知らせが入る。

 セイブラにヤンシーからの手紙が11年ぶりに届くが、それとともにヤンシー戦死の知らせも届いていた。セイブラはヤンシーと過ごした日々を思い出す。

 

 全く知識なく観た一本だったが、なかなか面白かった。序盤のランドランが始まるまでに何人ものヤンシーの知り合いが登場、この人たちがストーリーの脇を作って行くのだと思っていたら、案の定世話になった人の息子キッドがお尋ね者になり、これが話のメインかと思っていたら、大間違い(笑 そこからさらに話は進み、セイブラの人生一代記のような話になって驚いた。

 話のボリュームとしては、まるで「風と共に去りぬ」のよう。序盤で繰り広げられるランドランは「遥かなる大地へ」を思い出させるし、途中のヤンシーとディクシーの会話〜『男は二つの帽子をかぶれない』〜は恋愛映画の名セリフのようだし。

 セイブラの一代記のような話だから、多くのエピソードが入ってくるのは仕方ないだろうが、それにしてもちょっと多過ぎか。主人公がヤンシーなのかセイブラなのかもちょっとピントがボケた感じもする。

 それでも先住民との共生やお産の時に妊婦さんに酒を飲ませるなど、西部開拓時代のリアルが見えて面白かった。1960年の作品ながら、すでに2回目の映画化で、1回目はアカデミー賞を受賞しているというのも頷ける。