夕陽に向かって走れ

●482 夕陽に向かって走れ 1969

 1909年、ウイリーは祭りの時期にインディアン居留地へ戻ってくる。彼は恋人ローラと駆け落ちをした過去があったが、ローラの父親に反対されていた。

 街の保安官クーパーは居留地の監督官で女医のエリザベスからインディアンに男が酒を売っているのをやめさせるように依頼される。

 ウイリーは酒場でインディアンゆえに差別されたことに怒り喧嘩をし相手を怪我させる。その夜ウイリーはローラと密会するが、ローラの父親に見つかり、父親を射殺してしまう。ウイリーを逮捕するためクーパーはかつて自分の父親と組んでインディアン狩りをした経験を持つカルバート共に追跡隊を組み、彼を追う。しかしウイリーは上手く逃亡しクーパーたちは彼を捕まえられずにいた。大統領の警護を依頼されていたクーパーは追跡隊から離脱し街へ戻り、カルバートたちだけでウイリーを追うことに。

 ウイリーは追跡隊を待ち伏せ銃撃戦となりカルバートを撃ってしまう。知らせを聞いたクーパーは追跡隊を追う。大統領も訪問して来ており、さらに大掛かりな追跡隊も組まれることに。

 ウイリーとローラは自分たちの家へ向かうがそこには誰もおらず、二人は絶望する。ローラは逃げきれないとウイリーを説得するが彼は受け入れなかった。

 クーパーは彼らを追い続ける。やがてローラの死体を発見する。彼女は絶望のあまり自殺したものと思われた。クーパーはウイリーを追い詰め山中で決闘することに。クーパーはウイリーを射殺するが、ウイリーの銃には弾が入っていなかったことに気づき、クーパーは彼の遺体を火葬する。

 

 うーん、よく分からない映画だった。先住民が様々な差別に対し怒り行動を取るというのは理解できるが、逃亡の主原因は同じインディアンの恋人の父親に結婚を反対され射殺してしまうからであって、少しピントがボケている気がする。

 さらにウイリーの逃亡劇と並行して、保安官クーパーとエリザベスの恋も描かれているのも余計に分からなくさせている一因。この二人の恋愛を描く必要があったのかしら。保安官クーパーの人間性を描くため?ラスト、ウイリーを火葬する彼の人間性の説明?うーん、よく分からない。

 そう言えば、監督のポロンスキーの「刑事マディガン」も二つの話を並行して描いていて、よく分からない映画だったなぁ。邦題も同年の「明日に向かって撃て」のパクリだし、実話を元にしているらしいが、その実話もネットで調べてもよく分からないし。なんだか分からないづくしの一本。