折れた矢

●492 折れた矢 1950

 1870年アリゾナ、サムは大佐に呼ばれツーソンへ向かっていた。途中行き倒れになりそうなアパッチの若者を見かけ、助ける。若者は回復しサムに別れを告げるが、その時アパッチたちが襲ってくる。若者のおかげで命は助かったサムだったが、そこへ白人の駅馬車隊が通りかかり、アパッチは彼らを襲う。白人たちはアパッチ狩りをしていたのだった。サムはアパッチによる壮絶な刑を見ることに。

 サムは解放されツーソンへ。そこで大佐からアパッチ族の偵察をするよう求められるがサムは断る。同席していた人々からサムは非難されるが、彼は戦いにはうんざりしていた。サムはツーソンの街の郵便がアパッチのため何週間も不通となっていることに着目、先住民でありながらツーソンの街で暮らすフアンにアパッチのの言語や文化を習い、アパッチ族の族長コチーズと話し合いをしようとする。

 サムは周りが止めるのも聞かず、一人アパッチの村へ。そこでコチーズと郵便配達員だけは襲わないように要求する。コチーズはサムを村に泊める。夜サムは儀式で「生命の娘」となる少女ソンシアレイと出会い彼女に惹かれる。翌日コチーズはサムの提案を受け入れる。サムは街に帰り話し合いの結果を皆に伝えるが、信じない人間がおり、5日間無事に郵便が届くかどうかで300ドルの賭けを持ちかけられる。サムはそれを受ける。

 郵便配達員は4人目まで無事に帰ってくる。その時大佐の幌馬車隊がアパッチに襲われ大佐は死亡してしまう。酒場でその話が持ちきりの時に5人目の配達員が戻ってきたと知らせが入る。皆はサムはコチーズと繋がっていると話し、サムを縛り首にしようとする。将軍が止めに入り、サムにコチーズに会いたいと話す。将軍は和平を結ぶつもりでいた。

 サムは一人アパッチの村へ。コチーズは留守だったためソンシアレイと再会、愛を確かめ合う。コチーズが戻りサムは将軍の話を伝える。コチーズからソンシアレイは求婚されているという話を聞くが、サムは彼女と結婚したいと伝える。コチーズはサムを認め、ソンシアレイの両親を説得する。

 サムは将軍とともに村へ。コチーズは族長たちを集め和平の話をする。一部の者たちが反対するがコチーズは和平をすることに。反対したものは村を出て行く。リーダーはジェロニモと名乗る。コチーズは将軍に和平の前に30日間の試用期間を設けると提案。

 ツーソンの街から5年ぶりに馬車が出る。しかしその馬車がジェロニモたちに襲われる。サムはコチーズに連絡、アパッチがジェロニモを追い払う。

 サムはソンシアレイと結婚の儀式を行う。サムはアパッチの村で過ごすが、そこへ白人が連れられてくる。彼は馬が盗まれたためアパッチのいる地域へ来たと話す。サムは彼がアパッチ嫌いで有名な男の息子だとコチーズに話し、馬が盗まれたという場所へ一緒に行くことに。しかしそこで待っていたのは、アパッチを嫌う男たちだった。

 サムたちは襲撃され、ソンシアレイは死んでしまう。コチーズがなんとか彼らを追い払うが、サムは裏切った者たちに激怒する。しかしコチーズは和平は簡単ではない、と彼を諭す。

 将軍たちは裏切った者たちを捕まえたことをサムたちに報告する。サムはソンシアレウの死が和平に繋がったのだと納得し去って行く。

 

 タイトルも知らなかった映画だったが、驚きの一本。1950年製作だが、先住民側にたった視点でストーリーが描かれている。主人公が戦いに疲れ、白人と先住民との間を取り持とうとするのだが、主人公と先住民の異文化交流という面も見える。後に様々な映画がこの交流を描くことになるが、この映画が初めてぐらいなのではないだろうか。

 途中、先住民の娘との愛が描かれ、そっち方向に話が展開するのかと思いきや、悲しいラストが待っている。しかし怒りに震える主人公を諭すのが族長だというのが良い。初期の西部劇では徹底的に悪として描かれた先住民だが、本作は1950年にしては先住民をリスペクトして描いている点が非常に新鮮。

 

 「シェナンドー河」でも書いたが、ジェームズ・ステュアートが「アメリカの良心」と呼ばれる理由がこの映画でもわかった気がする。