牛泥棒

●505 牛泥棒 1943

 1855年ネバダ州のある町の酒場にカーターとクロフトがやってくる。カーターが女ローズを探していたためだった。しかしローズは町の女性たちから追いやられ町を出て行ったあとだった。カーターは客のファーンリーと喧嘩をしてしまう。

 その直後、酒場に農家の牧場主が殺され牛が盗まれたとの知らせが入る。牧場主はファーンアリーの友人だったため、彼は殺気立ち、犯人を追跡しようとする。町の長老デイビスがそれを止めに入り、捜索隊が編成される。犯人をその場で処刑するかどうかで揉めている所に、テトリー少佐からの情報が入り、犯人が逃げた方面が判明、捜索隊は多数決で犯人の処遇を決めることとし、追跡を開始する。

 その夜、捜索隊が休んでいるところを馬車が通りかかる。彼らは馬車を追う。クロフトが怪我をするが、馬車の中にいたのは、ローズとその夫だった。

 その後、捜索隊は野営をしている3人組を発見する。男たちは3人組を疑い始め、テトリー少佐が尋問を始める。3人組の一人がメキシコ人が犯人だと言い始め、その男がお尋ね者だと判明する。少佐は3人組を絞首刑にすると宣言するが、無罪を主張する一人の言い分も聞き入れ、日の出まで刑の執行を猶予する。無罪を主張する男は家族への手紙を書くことを要望する。

 日の出となり、少佐は多数決を取ることに。大勢いる中で、7人の男たちだけが裁判をすることに賛成するが、圧倒的多数で絞首刑にすることが決まる。そして刑は執行される。捜索隊が引き上げようとしたところへ事件を調べに行っていた保安官がやってきて、牧場主が死んでいないこと、犯人が捕まったことを伝える。

 男たちは町へ戻る。少佐は息子に今回取った態度をなじられると、部屋に入って自殺をする。酒場でカーターは受け取った手紙を皆の前で読む。そしてカーターはクロフトとともに町を去って行く。

 

 本編が75分のとても短い一本だったが、見せ場は十分。戦前の映画としては、これまで見た中でTOP3に入るかも。それほど印象深い映画になりそう。

 冒頭と中盤で少しだけ描かれるカーターとローズの恋物語はあくまでも主人公2人組が街にやってくる理由をつけているだけ。話のメインは、牛泥棒に疑われた3人組に対する集団の言動にある。彼らがやったことは私刑と訳されていたが、実際には裁判なしでの絞首刑。

 それに対するラストでの手紙の言葉が刺さる。少し長いが引用する。

 

「法とは単なる言葉ではなく

 それを実行する人々でもない

 法とは正義や善悪についての人間の英知

 人間の良心そのものだ

 良心がなければ文明など育たない

 神に触れられるのは良心を通じてのみだ

 我々から良心を奪ったら何も残らない」

 

 途中、神についての言葉があるのがキリスト教らしいが、それ以外の部分は時代を超えて、まさに現代にもネット社会にも通用する言葉だと思う。