友だちのうちはどこ?

●535 友だちのうちはどこ? 1987

 小学校の教室。教師がやってきて生徒たちの宿題を確認し始めるが、アハマッドの隣に座っていたネマツァデはノートを従兄弟の家に忘れたため、紙に宿題を書いてきた。同じクラスにいるポシュテから来ている従兄弟がそれを認めたが、ネマツァデが同様の間違いを3回起こしたことを教師は怒る。そして次同じことをしたら退学処分にする、とネマツァデに宣言する。

 その日ネマツァデと一緒に帰ってきたアハマッドだったが、間違えてネマツァデのノートを持ち帰ってきてしまっていたことに気づく。母親に事情を説明しノートを返しに行こうとするが、母親は彼の言うことを聞かず、宿題を先にしろと命じ、家事の手伝いや赤ん坊の面倒を見させる。仕方なくアハマッドは母親の目を盗み、ノートを返しにポシュテに向かう。祖父がそれを見ていた。

 人々に聞きながらポシュテの街にたどり着いたが、アハマッドはネマツァデの家がわからない。なんとかネマツァデの従兄弟の家の場所を聞くことに成功し、従兄弟に家にたどり着くが、彼は留守でコケルに行ったと聞かされる。コケルはアハマッドの住む街だった。彼はコケルに戻る。そこで祖父から事情を聞かれ、家からタバコを持ってくるように命じられる。アハマッドが戻るとそこでは玄関のドアを売り物にしている男が会話をしていた。男の名字がネマツァデだと知ったアハマッドは男の後をつける。男の家までたどり着くが、そこに同級生はいなかった。そこの家の少年から、手がかりとなる家の目印を教えてもらう。

 その手がかりを探すアハマッドは、日が暮れた後に老人と出会う。老人がネマツァデを知っていると言うので彼についていくが、そこは玄関のドアを売り物にしている男の家だった。アハマッドは老人と別れ、家に帰る。アハマッドは母親が夕飯を勧めるがそれを断り、宿題を始める。

 翌日、学校の教室。アハマッドは遅刻しておりいなかった。ネマツァデはノートがないため落ち着かない。教師が宿題の確認を始めた後、アハマッドが遅刻してくる。彼はネマツァデの分も宿題をやってあると話し、彼にノートを手渡す。教師の確認も無事に済み、事なきを得る。

 

 イランの映画は初めて観た。冒頭の母親、中盤の祖父と玄関のドアを売り物にしている男、終盤の老人、と出てくる大人たちは主人公の話を聞こうとしない。観ているうちにそんな大人たちの態度に腹が立ってくるが、35年前のイランでは、これが普通だったのかもしれない。

 中盤祖父が、子供を厳しく、時には体罰を与えてでも躾をしないといけない理由を語る。さらに一度で言ったことをしないといけない理由も。これが、イランと日本の、つまり遊牧民と農耕民族との差か、とも思ったが、国や土地柄によって常識が変わるのは当たり前で、現在の日本の常識を当てはめて考えてはいけないのだろう。

 ずっとイライラさせられる映画だが(笑 、たった一つだけの伏線がラストシーンでしっかりと回収され、それが和ませてくれる。

 この監督のジグザグ三部作?の1本目だそうで(なんだそりゃだが)、確かにポシュテの街に向かう主人公が登っていく道がジグザグしていたが、あれがそれを示しているのか?ちょっと気になるし、三部作の残りも観てみたい気がする。