悲しみは空の彼方に

●555 悲しみは空の彼方に 1959

 1947年、ローラは娘スージーを海岸のイベントで見失い困っていた。写真を撮っていたスティーブに警官に相談した方が良いと言われ、スージーを見つけ出す。彼女は同年代の少女サラジェーンと遊んでおり、ローラはサラジェーンの母アニーと話すことに。アニーは家を失い困っていた。自身もシングルマザーであるローラは家にアニー母娘を誘い一緒に住むことに。

 海岸で少女たちの写真を撮っていたスティーブがローラの家に遊びに来る。スティーブはローラに惹かれ、食事に誘う。

 ローラは舞台女優を目指していた。スティーブと一緒に行った食堂で舞台女優の募集の話を聞いた彼女は早速エージェントのアレンの事務所へ。嘘をつきながらもチャンスを掴もうとするローラにアレンは惹かれるが、ローラに対し売れるためには何でもしないといけないと言い寄る。ローラはアレンから逃げるようにして帰って来る。

 アニーの娘サラジェーンは自身は白人のように見えるが母親が黒人であることを恥じていた。サラジェーンは学校に忘れ物を届けに来たアニーに対して、母親が黒人であることがバレたため怒りをぶつける。

 スティーブは広告代理店に就職、ローラに求婚をする。そこへアレンから電話が入り、劇作家エドワーズがローラの写真を見て次回作のオーディションを受けるように言っていると聞き、スティーブの求婚を断り出かけてしまう。ローラはオーディションでエドワーズに意見をしたことで認められる。そしてオーディションに合格、舞台は大成功を収める。ローラとエドワーズのコンビは次々とヒットを飛ばし、ローラは大女優となっていく。

 10年が経過し、ローラはエドワーズの書く喜劇ではなく、新しい役に挑戦をするためにエドワーズの新作への出演を断る。ローラは新しい舞台でも成功を収める。その初日スティーブがローラの舞台を観に来て楽屋を訪ねる。ローラはスティーブを家でのパーティに誘う。10年ぶりに再会した二人は未だにお互いが愛し合っていることに気づく。スティーブはローラを世界一周旅行に誘うが、その時またもローラに仕事の依頼が来る。イタリアの巨匠映画監督からの誘いだったため、ローラはスティーブの誘いを断りイタリアへ。ローラは留守の間、娘スージーの相手をすることをスティーブに頼み、彼も了承する。

 成長したサラジェーンには恋人ができていた。しかし彼女は自分の母親が黒人であることを相手に内緒にしていた。それでもそれがバレてしまい恋人から殴られ捨てられてしまう。自暴自棄になったサラジェーンは嘘をついてナイトクラブで踊り子として働く。それに気づいた母アニーは店に行き従業員に真実を告げるとサラジェーンは店をクビになってしまう。彼女は家出をする。スティーブの助けでサラジェーンの居場所を知ったアニーは娘に会いにいくが、サラジェーンは母親を拒否、アニーもそれを受け入れる。アニーは病気になってしまう。

 イタリアから戻ったローラは娘スージーの様子がおかしいことに気づく。スージーはスティーブに恋をしていた。そのことをアニーから聞いたローラは母親として失格だと後悔する。アニーの病状が悪化、遺言を残し彼女は亡くなってしまう。遺言通りに葬式が進む中、サラジェーンが母の遺体の入った霊柩車に駆け寄り泣き叫ぶ。ローラはサラジェーンを抱きしめる。

 

 これまた何の情報もないままに観た一本だったが、見入ってしまった。

 前半は、舞台女優になることを夢見るローラと写真家になることを夢見るスティーブが主役。現実的に妥協し広告代理店に就職したスティーブと未だに舞台女優になることを諦めないローラの対比が映画のテーマかと思って観ていたが、後半話は別の方向へ向かう。

 ローラは舞台女優として大成功、10年の時を経てスティーブと再会したため、ふたりのラブロマンスがテーマになるのかと思いきや、後半の主役はサラジェーンと母アニーであり、黒人の母と白人にしか見えない娘の親子愛がテーマになる。娘を間違った道から救おうとする母親、それを拒否する娘。定番といえば定番の流れだが、最後には母親は娘との離別を受け入れる。ムーランルージュの楽屋で交わされる母娘の会話の悲しいこと。久しぶりに映画でボロボロと泣いてしまった。そしてラストの葬式シーンでダメ押し。

 

 原題「Imiteation of Life」にはどんな意味が込められたのだろう。映画で描かれたローラやサラジェーンの人生が偽物だったということ?アニーの人生こそが本物だということなのだろうか。

 夢を追いその夢を叶えたローラはまさにアメリカンドリームのように思えるが、平凡でありながら幸せに暮らし、自分の死後のことまで整えていたアニーのような生き方こそを肯定する、ということなのか。

 まだまだ知らない傑作があるんだと思わされた。