遠い太鼓

●592 遠い太鼓 1951

 1840年、テイラー将軍の命を受け、フロリダにタフト海軍中尉が派遣される。そこでは7年間先住民であるセミノール族との戦いが行われていた。タフトはワイアット大尉と会うために彼が息子と暮らす島へ。ワイアットは自らの軍と行動を共にしたがらない変わった人間だった。二人は先住民たちの砦を陥落させることにするが、40人の兵で乗り込もうとするワイアットの計画はタフトには無謀に思えた。

 二人は司令部に向かいテイラー将軍から砦攻略の指示を受ける。彼らは湖を小舟で渡り砦へ。早朝砦への侵入を試み一気に砦を攻略、武器庫などを破壊するために爆破する。捕まっていた農園経営者などを救い出し、小舟で脱出を図るが先住民たちに追われてしまい、小舟は引き返すことに。

 追っ手の先住民たちを草むらに火を放つことで遠ざけるが、舟がないためジャングルと化した沼地を進むことに。そこは蛇やワニなどがいて危険な地帯だった。悪路を進むが、捕虜には女性もおりそのまま進むのが困難になる。ワイアットはカヌーを作り移動することを決意。カヌーを作るのに時間がかかるため、一部の兵を先に行かせる。なんとかカヌーを製作、先に進もうとしたところで先住民に追いつかれてしまうが、なんとかカヌーで逃げ切る。

 ワイアットは捕虜の中にいた女性ジュディと仲良くなる。彼女はサバンナに戻りたいと話すが、ワイアットは今の暮らしを続けたいと話す。彼女はかつて自分をひどい目に合わせた男たちに復讐をしたいのだった。ワイアットたちは先行した部隊と合流するために、先住民たちの墓へ。しかし部隊はいなかった。兵たちの反対を押して待ち続けるワイアット。そこへ先行部隊と共にいたはずのモンクがやってくる。先行部隊は先住民たちの追撃を受けたとの事。ワイアットは先へ進むことを決断する。

 ジャングルの中で先住民一人を捕まえる。彼から先行部隊が近くの先住民たちの村で捕虜となっていると聞いたワイアットは村を襲撃するが、捕虜たちはすでに殺されていた。彼らはワイアットが暮らす島へ向かう。その頃司令部ではテイラー将軍が部下からの報告を受け、ワイアットたちのことは絶望視していた。しかしワイアットの息子を助けるために、島へ行くことを決断。

 島に着いたワイアットが目にしたのは、燃やされた家だった。息子もおらず落ち込むワイアット。先へ進むことを進言する部下たちだったが、ワイアットはここで先住民を撃退すると宣言。その夜ワイアットは妻は兵に殺されたと告げる。先住民の娘だった妻を配属されたばかりの若い兵が殺したのだった。しかしワイアットは復讐は考えない、復讐ばかりの人生は悲しいと話す。

 翌朝ワイアットは先住民の部族長であるアカラを挑発、1対1の勝負を挑む。水中で争いオカラを刺し殺す。それを見た先住民たちは逃げ出す。そこへテイラー将軍たちの部隊がやってくる。ワイアットの息子も無事見つかる。ジュディはサバンナには戻らないと話し、ワイアットと抱擁を交わす。

 

 タイトルを見たときに前に見た映画だと思ったが、それは「遠い喇叭」の方だった(笑 「〜喇叭」も少し異色の作品だったが、本作も同じ。と思ったら、監督が同じ人なのね。

 「西部での西部劇」ではなく、フロリダが舞台の西部劇。製作された年代が年代だけに、先住民は徹底的な悪として描かれるのは仕方ないところ。しかし先住民?が砦を支配していたり、西部劇ではあまり見ないジャングルの中を部隊が進むのは変わっている。西部劇の中でワニに食われてしまう兵士というのはあまり見たことがない。このシーンで使われているのが、有名な?ウィルヘルムの叫びだそうだ。

 主人公が先住民のリーダーと水中で対決するのも他にはない闘い。ちょっと間延びした闘争シーンだがこれまた仕方なしか。

 主人公が美女をくっつくのは西部劇の定番だが、その主人公が先住民の娘と結婚しているのはこの当時としては先進的か。それとも舞台となった時代にはままあったことなのか。主人公がその妻を殺されたが、復讐は悲しいと言い切るのがこの映画のテーマなのだろう。この時代、第二次世界大戦が終わって数年後の映画で、これを言い切るのもまたある意味見事だと言える。

 本数をそんなに観たわけではないが、しかしゲイリークーパーはこんな男がよく似合う。