●昨日のまこと、今日のうそ 髪結い伊三次捕物余話 宇江佐真理
本業である髪結いをしながら、同心不破友之進の小者としても働く伊三次だったが、芸者お文と所帯を持つことに。伊三次が不破の下で事件を追う。
以下の6編からなる短編集。
共に見る夢
龍之進ときいに子供が産まれ、栄一郎と名付けられる。多くの祝いの品が届く中、いなみは岩瀬からの品が届かないことを疑問に思い、龍之進にそれとなく告げる。龍之進は岩瀬の奥方が病で伏せているらしいといなみに話す。その岩瀬が不破に相談を持ちかける。さる大名の若君が町中の湯屋、しかも朝方の女湯に通っていて困っていると言うものだった。話を一緒に聞いた緑川が怪しげな連中を集め若君にお灸を据える手を考えつき、実行する。一件は無事に解決するが、年が明け岩瀬の妻女が亡くなる。通夜の場で不破と緑川は岩瀬が妻を伊勢参りに連れて行きたかったと話すのを聞く。それを聞いた2人は隠居したら自分たちの妻を伊勢参りに連れて行こうと話す。
指のささくれ
長屋から子供が姿を消す。その母親の家に転がり込んだ若い男が事情を知っているはずだが男の行方もわからない、という話を髪結いをしていた伊三次は不破や龍之進から聞く。伊三次は九兵衛におてんとのことを聞くが、おてんではなくおさくという娘のことを九兵衛は話す。九兵衛は大店の娘であるおてんではなく、普通の娘おさくに惚れているようだった。九兵衛は腹をくくりおてんに貧乏暮しは無理だと話すが、おてんは九兵衛が一緒になる気がないと思い、見合いの話を受けることに。九兵衛はおさくに話をするがあっさりとフラれてしまう。勤めを無断で休んだ九兵衛は町で子供を連れた若者に出会う。それは不破たちが話題にしていた子供と若者だった。勤めを休んでいると聞いたおてんは九兵衛に会いに来る。おてんは持参金目当ての見合いを断っていた。九兵衛はおてんの口を強く吸うのだった。
昨日のまこと、今日のうそ
龍之進は妻や娘、妻の母親まで殺した男を捕まえる。龍之進は奉行所の仕事のやり方に不満を覚えていた。男が引き回しの日、彼は男の様子を見にいくが、そこで橋口から男は生きるも地獄、死ぬも地獄だったのだろうと言われ驚く。男は妻の浮気を疑っての犯行だと思っていたが、商売がうまくいかず金のない生活で心中しようとしたのだと聞かされる。茜は鶴子に言われ、上屋敷へ行くことに。久しぶりに茜は良昌と会う。茜のいる下屋敷に移りたいと言う良昌に茜は次期藩主となった暁には良昌の願いに答えると約束する。しかし良昌は突然亡くなってしまう。
花紺青
伊与太が師事している国直のところに芳太郎という新たな弟子がやってくる。彼は伊与太と異なり有望な若者だった。伊与太が結婚する九兵衛のために描いた絵に芳太郎は注文を付ける。国直は次の仕事で芳太郎にも1枚の絵を描かせることに。そのため芳太郎は雅号をもらう。それを聞いた伊予田は落ち込み、北斎の家へ行く。北斎は伊与太の悩みを見抜き、独自の雅号を与えつつ、絵を描くことの意味を話す。九兵衛の結婚の日、伊三次たちはその準備に大わらわとなる。
空蟬
龍之進は緑川鉈五郎とともに内与力の山中に呼び出される。仕事ぶりを褒められた後、最近江戸を襲っている押し込み集団と奉行所内の人間が通じているらしいと言われ、それが誰かを探るよう命じられる。山中は古川喜六を疑っているらしく、2人は驚く。2人は昨年襲われた福山屋を訪ね話を聞く。事件で行方不明となった女中が福山屋に勤める前に川桝に勤めていたことが判明する。川桝は喜六の実家だった。伊三次は九兵衛から妻おてんの実家魚佐に最近奉行所の人間が頻繁に出入りしていると聞き怪しいと思う。それを不破と龍之進に伝える。実は龍之進以外に不破も山中から同じ件を伝えられていた。伊三次たちは魚佐を見張ることに。そして事件が起きる。調べが始まると山中自身が押し込み集団と通じていたことが判明したのだった。
汝、言うなかれ
漬物屋村田屋の娘おとよは若い頃、親戚が勧める縁談相手が気に入らず、手代の信助に結婚してくれるように迫った。信助は自分は人を殺したことがあると告白する。病弱な父の薬代に困り金貸の老婆を頼ったが、妹を吉原に売るように言われ信助は老婆を殺して金を奪ってしまう。しかしその夜辺り一帯が火事となり老婆殺しは事件とならなかった。おとよは人には喋らないと約束し信助と結婚、子供にも恵まれる。その信助が店を継ぐが、組合仲間の八百屋の金助と折り合いが悪かった。その金助が寄合の翌日川で死体となって発見される。おとよは信助が殺したのかもと心配になり、従姉妹や信助の髪結いに来ていた伊三次に聞かなくても良い話をしてしまう。伊三次は自らも家を失った火事のことをよく覚えており、不破や龍之進におとよの話をする。不破は火事の際に亡くなった老婆の死因に疑いを持っており、信助と老婆のつながりを調べる。金助を殺した下手人が捕まるが、信助は老婆殺しで捕まってしまう。
シリーズ13作目。1話目のきいの出産、不破の隠居後の伊勢参りの約束。2話目の九兵衛とおてんの恋の結末。3話目の茜と良昌。4話目の伊与太の悩み、と盛りだくさんでありながら、5話目、6話目は伊三次が活躍する捕物話。前作と同様、非常にバランスのとれた一冊。
3話目こそ悲劇で終わるが、それ以外はこれも前作同様、優しい気持ちにさせてくれる話ばかり。3話目もとうとう茜が藩主の妻になるのか、と思いきや残念ながら良昌は急病で亡くなってしまう。しかしその後の茜自身や茜の周りの人間の優しさがやはり読んでいる側を優しい気持ちにさせてくれている。
5話目では、同胞の喜六を疑わなければいけない龍之進や鉈五郎の姿が描かれるが、真相は意外なところにある捕物話。6話目はさらに凝っていて、おとよという漬物屋の娘の視点で話がスタートし、話は意外な方向へ進んで行く。6話目の結末は急展開過ぎる感じもしたが、おとよが伊三次に話した内容があまりに正直すぎた故の結末とも言える。
本作の解説が素晴らしく、著者の癌になった後の経緯を紹介してくれている。このブログでも著者が文庫本「心に吹く風」のあとがきで癌を告白した件に触れたが、実際には著者が告白した後に最初に書かれたのが本作である。前作のブログで、優しい気持ちにさせてくれる話が多くなってきたと書いたが、実際に著者が癌を認識した後に書かれたのは本作からということになるのだろうか。ということは、シリーズの終盤になって作品に変化が出てきたのは、著者の病気とは関係がないということ。シリーズ序盤は厳しい結末の話が多かったが、後半になりそれが変わったのは著者自身の優しさだった、ということなのだろう。