●いまさら翼といわれても 米澤穂信
神山高校の折木奉太郎は、姉の勧めもあり、同級生である千反田える、福部里志、伊原摩耶花たちとともに古典部に入部する。奉太郎は自身の身の回りで起こる不思議な事柄の謎を解いていき、いくつかの事件を解決する。2年生になった奉太郎たちの身の回りで起きたいくつかの事件。6編からなる短編集。
箱の中の欠落
6月のある夜、奉太郎は里志に呼び出される。里志は自分が関わった生徒会長選挙で生徒数よりも多い投票があったことを話す。とある理由で明日の朝までに真相を突き止めたいと言われた奉太郎はそのように不正があったかを推理する。
鏡には映らない
摩耶花は町で中学時代の同級生と会い話をし、奉太郎が話題となる。その同級生が奉太郎を嫌っているのを聞いて、中学の卒業制作のことを思い出す。鏡のフレームを皆で作ったが、奉太郎は原画のデザインを無視したものを作ったため同級生たちから非難された。しかし高校に入り奉太郎の人となりを知った摩耶花はあの時の奉太郎の行動に疑問を持ち、真実を調べ始める。
連峰は晴れているか
古典部の4人が部室で話をしている時、奉太郎はヘリの音を聞いて、中学時代の教師小木が授業中にヘリが好きだと話したことを思い出しその話をする。里志や摩耶花の記憶から奉太郎は違和感を感じ、図書館で調べ物をすることに。えるとともに図書館で過去の新聞記事を調べた奉太郎は小木の言葉の真実を見つける。
わたしたちの伝説の一冊
2月、摩耶花の描いた漫画が雑誌で賞を受賞する。5月、摩耶花は所属する漫画研究会で文化祭以来続いていた派閥争いに決着をつけるべく、浅沼から同人誌を出したいから手伝って欲しいと言われる。しかし反対派にその計画がばれてしまう。結果的に同人誌の出来次第で2つの派閥のどちらかが部を辞めることになる。摩耶花は同人誌に載せる漫画を描く準備を進めるが、ネームを描いたボートが盗まれてしまう。犯人だと思われた新部長からケーキ店に呼び出された摩耶花は意外な人物と会うことになる。
長い休日
とある日曜日、珍しく調子が良いと感じた奉太郎は荒楠神社に散歩に出かける。そこで十文字かほに誘われ詰所に。そこにはえるが来ており、二人は一緒に神社の清掃をすることに。清掃をしながら、えるは奉太郎がなぜ彼のモットーを言うようになったかを問う。奉太郎は小学生の時の思い出を語り出す。
いまさら翼といわれても
夏休み初日、えるが市の合唱祭に参加するはずだったが、会場からえるがいなくなったと摩耶花から奉太郎に連絡が入り、居場所を知らないかと聞かれる。奉太郎は会場に行き、摩耶花や関係者に事情を聞く。会場になかったあるものをヒントに奉太郎はえるが会場に来ていなかったことを突き止め、えるのいる場所を突き止めることに。
古典部シリーズ6作目にして2024年5月現在、シリーズ最後の作品。
奉太郎たちが2年生となり、新入部員を迎えたエピソードが前作。本作はその2年生となった彼らの1学期〜夏休み初日までを描いた作品となっている。ただし3話目の「連峰は晴れているか」はいつの時期のものか不明。詳細は後述。イメージとしては4作目の「遠まわりする雛」に似ている。あちらも高校1年の1年間に起きた事件を扱った短編集だった。
謎としてはまさに「日常系の謎」ばかり。しかし本作はちょっとこれまでの作品たちとは異なる感じもある。以下、簡単にポイントを。
「箱の中の欠落」は生徒会長選挙にまつわる謎。ポイントは、投票箱。
「鏡には映らない」は中学時代の奉太郎の謎の行動を摩耶花が探る異色作。ポイントは、うーん何だろう。奉太郎の人間性、か。
「連峰は晴れているか」は奉太郎が中学時代の教師の言葉を思い出すがそれに違和感を覚える。ポイントは、3回の雷撃を受けた教師。
「わたしたちの伝説の一冊」は摩耶花が主人公のこれまた異色作。漫画研究会の分裂に巻き込まれた摩耶花がネームのノートを盗まれる事件。ポイントは、奉太郎の読書感想文。
「長い休日」は日曜日に奉太郎がえると偶然会い、モットーの謎を問いかけられる。ポイントは、ランドセルに入っていなかったモノ。
「いまさら翼といわれても」は合唱祭に参加するはずのえるが行方不明になる。ポイントは、会場にあるはずなのになかったモノ。
ちなみに本作の舞台となった時期について。「連峰は晴れているか」を除き、1学期〜夏休みと書いたが、「箱の中の欠落」「わたしたちの伝説の一冊」「いまさら翼といわれても」は文章中にはっきりと時期が明示されている(上記あらすじ参照)。
「鏡には映らない」は、『中学を卒業して1年と少し』という摩耶花のセリフがあり、「長い休日」には、『そろそろ蚊が出る季節』という奉太郎のセリフがあるため。
先のブログにも書いたが、本シリーズのアニメ版を全話鑑賞した。ついでに実写版映画も。アニメ版を見て一つ疑問だったのは、全22話の中にどうして本作6作目の「連峰は晴れているか」だけが入っているのか、ということ。確かに「連峰は晴れているか」はページ数が少なく、アニメ版の1話分にするのに適当だったということもあるとは思ったが。
本作を読み終わり、最後に初出を見てその謎が解けた。本作の中で「連峰は晴れているか」だけが2008年に発表されている作品だった。その他の作品は2012年以降であり、アニメ版が2012年に制作されたことを考えれば当然の結果だった(笑
ちなみに、本作の6編を発表順に並べると以下の通り(wiki参照)。
連峰は晴れているか 2008年7月
鏡には映らない 2012年8月
長い休日 2013年11月
いまさら翼といわれても 2016年1月2月
箱の中の欠落 2016年9月
わたしたちの伝説の一冊 2016年10月
本作の順番とは一致していないのがわかる。もう一つよくわかるのは、作品発表がなかなか進まないということ(笑 さらになぜか2016年に3作品が集中して発表されているということ。これは完全に憶測だが、2017年に実写化映画が製作されたため、角川らしいメディアミックスだったのではないだろうか。
これで現時点で発表されているシリーズ全てを読んでしまった。原作ももちろん非常に面白く、アニメ版も良くできていた。上記したが、今の所のシリーズ最後の本作でも、奉太郎たちの2年生の夏休み初日までしか描かれていない。彼らの入学時から描いたのだから、せめて高校卒業までは続けて欲しいと願うが、悲観的になるのは、最後の作品「わたしたちの伝説の一冊」が発表されて既に8年近い年月が経過していること。気を長くして待つので、どうか続編が出ますように。