擬宝珠のある橋 髪結い伊三次捕物余話 宇江佐真理

●擬宝珠のある橋 髪結い伊三次捕物余話 宇江佐真理

 本業である髪結いをしながら、同心不破友之進の小者としても働く伊三次だったが、芸者お文と所帯を持つことに。伊三次が不破の下で事件を追う。

 以下の3編からなる短編集。

 

月夜の蟹

 龍之進は蕎麦屋で食い逃げをしようとした男菊蔵に会いに自身番へ行く。菊蔵は悪びれた様子も見せず、水野様のお屋敷の永井捨之丞が払ってくれると言い張る。永井は話が面白い菊蔵を茶屋に連れて行き酒や料理をご馳走しているらしく、菊蔵は鳶だが仕事をするのも馬鹿らしくなっていた。結局蕎麦屋の代金は菊蔵の妹に払わせることに。きいは幼馴染で呉服屋に嫁に行ったおたよの家に呼ばれたが、そこで栄一郎がおたよの赤ちゃんに噛み付いたため怒られたことに不満でおたよの家から帰ってきてしまっていた。一緒に行ったおせんがきいを訪ねてきてきいが帰った後に起きた出来事を聞いてきいは胸がすく思いをする。菊蔵のその後を心配していた龍之進だったが、永井に愛想をつかされた菊蔵は永井に切り掛かり逆に斬り殺されてしまう。龍之進は久兵衛から蟹のお裾分けをもらう。それを持って家に帰ると、不破が栄一郎の噛み癖を治すために栄一郎の腕に噛み付いたことを聞く。


擬宝珠のある橋

 伊三次は翁屋に髪結いの仕事で出かける。翁屋では家の手直しをしていた。伊三次は大工徳次の家族の話を聞く。翁屋の若旦那七兵衛から徳次は子連れ同士の再婚で息子2人は仲良くやっていると伊三次に話す。徳次の妻おてつと会った伊三次は、彼女が昔仕事をした先の女中だったことを思い出す。伊三次はおてつから前の夫と別れた経緯を聞く。その後梅床で仕事をしていた伊三次はおてつのかつての舅が客としてきているのに気づく。その後街中の橋でおてつとあった伊三次はおてつがかつての舅の面倒を見たいが夫に気兼ねしているのを聞き、家族に打ち明けた方が良いと助言する。後日伊三次は翁屋で大工の息子たちが蕎麦の屋台を作っているのを目撃する。おてつの舅はかつて蕎麦屋をやっており、その舅のために屋台を作っていたのだった。伊三次はお文とお吉を連れてその屋台に蕎麦を食いに行く。伊三次は舅の名前が作蔵だと聞き、かつて不破家の下男をしていた男と同じ名前であると気づく。

 

青もみじ

 きいは街中で様子が少しおかしい女、おくにを見かける。おくにはきいが子供の頃に姉のように慕っていた女だった。おくにを知るおせんとあったきいはおくにのことを聞く。大店の娘だったおくにだが、嫁ぎ先でいじめられおかしくなってしまったとのことだった。おくには実家の店の手代のことが好きだったが、一緒にはさせられないとの両親の反対で酒屋へ嫁に行ったが、そこで酔客の相手をさせられ徐々におかしくなってしまったらしい。話を聞いたきいは怒る。伊三次に街中で会ったきいは彼におくにのことを調べてもらうことに。一方できいはおせんとともにおくにの見舞いに行く。おくには2人の前では普通に昔の思い出を語るのだった。伊三次が調べてきたことをきいに報告する。おくには両親同士のいざこざの償いのために、酒屋へ嫁に出されたことがわかる。その後おくにが心臓を患い先が長くないとおせんが知らせてくる。おくには養生のため向島に移っていた。遠い向島に行くためには朝早く出かけねばならず、きいは龍之進に断っておくにの見舞いに行く。そこではかつておくにが好きだった手代が看病をしていた。見舞いの帰りに茶屋に寄ったきいとおせんだったが、そこで仲の良い夫婦を見かける。妻の笑い顔がかつてのおくにのようだと2人は涙する。

 

 

 シリーズ15作目。前作「竈河岸」でも少し触れたが、本作は2016年に単行本が発刊されたが、シリーズ未完のまま著者が亡くなったため、上記3編と2014年に文庫本書下ろしとして発表された「月は誰のもの」、著者エッセイが収録されている。「月は誰のもの」は別のブログで一つの作品で扱う予定なので、ここでは3編のみ記載する。

 

 前作では、きい、龍之進と次郎衛、茜と伊与太の3組が2編ずつ主役となった話が描かれたが、本作は龍之進、伊三次、きいがそれぞれ主役となる話3編である。

 

 「月夜の蟹」は、龍之進が食い逃げした菊蔵を気にかける話。鳶をする菊蔵は調子の良い町民だったが、武家の永井と出会い、彼と贅沢な飲み食いを共にすることで真面目に働くことがなバカバカしくなってしまった男。それでも永井が菊蔵と長く付き合うつもりならば良いのだが、永井の真の狙いは、そんなお調子者を一時だけ持ち上げ、その後は知らぬふりをして笑い者にする魂胆だった。現在でもありそうな怖い話である。

 しかも菊蔵は日頃の行いが悪かったこともあり、亡くなっても妹から葬式は出せないと言われてしまう始末。優しい龍之進は菊蔵に思いを馳せる。普通の生活ではないものを垣間見てしまった菊蔵を、久兵衛からもらった、なぜか江戸の海に迷い込んだ月夜の蟹に例えて考える。

 前作の1話目「空似」でも龍之進は取り調べの県で、吟味方の喜六や監物に怒りを爆発させたが、この話も龍之進の奉行所ならではの調べとは異なる視点で事件を見ている。それは父親不破と似てきたということなのだろう。そんな龍之進が最後に栄一郎の育て方のことで不破に感心しているのはそれを示唆しているのかもしれない。

 

 「擬宝珠のある橋」は、伊三次がいつもの翁屋で知り合った大工一家の妻と絡む話。その妻は昔の知り合いのおてつであり、前の夫の舅のことを気にしており、彼女の背中を後押しするのが伊三次の役目。舅の件は無事に解決する一方で、伊三次はこの話の中でお文への今の思いをぶちまけるシーンがある。それを聞いたお吉が恥ずかしくなるようなセリフ。ラストでも伊三次たち家族で蕎麦を食いに行き、仲の良いところを見せてくれる。

 1話目とは異なり典型的な人情話だが、最後に不破家のかつての下男作蔵の名前が出てくる。作蔵とはシリーズ第6作「君を乗せる舟」で次郎衛に斬られ亡くなった下男。「君を乗せる舟」では龍之進の初恋?の女性あぐりの嫁入り姿を龍之進が見送る姿が印象的なラストだったと思い出させくれた。

 

 「青もみじ」はきいが昔慕っていたおくにの話。嫁ぎ先でいじめられたおくにのことを友人おせんから聞いたきいは、詳しい事情を伊三次に調べてもらう。おくにが両親同士の昔のいざこざの犠牲になったと知ったきいは激怒。しかしそのおくにも先が長くないという結末に。久しぶりにシリーズ初期にあったような不条理な世界を描いた話だった。それでもラストの茶屋での何気ない夫婦の会話が幸せな時間を見せてくれる。

 最後の見舞いのために龍之進に許しを請うたきいに対し、龍之進が小言を言ったのに対し、不破がそれを叱責するというシーンが、これからもきいは不破家の中で幸せに過ごしていけるだろうということを予感させてくれる。

 

 

 これでシリーズは未完のまま終了してしまった。今年の夏から読み始めたシリーズだったが、続きが読めないのは本当に悲しい。

 シリーズ序盤は、不条理な出来事を描く一方で、伊三次、お文、不破といなみの過去を描きつつ、伊三次とお文の恋物語だった。その2人が結婚したのが3作目。4作目からは龍之進が登場し、不条理な物語は減り、捕物話が多くなってくる。このシリーズは中盤の9作目までは、1冊につき小説内の時間が1年過ぎる、という形をとっており、龍之進が成長物語がしばらく続いた。

 そして9作目。本シリーズは決してミステリー色が強いわけではないが、それでもこの9作目の1話目には本当に驚かされた。それまでの「1冊で1年経過」というルールを突然破り、一気に舞台が10年後の世界となったのだ。幼かったはずの龍之進は酒で堕落しており、なんとか改心するが、龍之進の恋物語がしばらく続き、10作目できいと祝言を挙げる。伊与太と茜も成長し、このあたりは伊三次と不破の子供達が主役となり始めたが、シリーズ終盤になり、登場人物たちそれぞれに主役を張る話が多くなり、バランスのとれた構成となった。

 

 シリーズ終盤は、毎日1話ずつ読むのが本当に楽しみだった。変に不条理な世界を描くわけでもなく、かと言って人情噺一辺倒な訳でもなく。子供たちの成長ぶりも楽しみだったが、歳を取った伊三次やお文、不破などの様子を知るのも楽しかった。

 

 しかしまだシリーズ中、唯一の文庫書下ろし作品が残っている。今年を楽しませてくれたシリーズの最後として、読ませてもらうことにする。