銀二貫 高田郁 第7章

●銀二貫 高田郁 第7章

 

第7章 さらなる試練 (1789年〜1792年)

 松吉、新たな寒天作りのため再度寒天場へ

 半兵衛が作った寒天は評判を呼び、井川屋は取引する店が増える。年号が寛政に変わった最初の年の秋。梅吉は松吉が真帆と会っていないのかと尋ね松吉は頷く。梅吉も真帆のことを化け物扱いしたことを恥じ、真帆の様子を見に行けないでいた。

 松吉は梅吉が養子を断った件を話す。梅吉は和助たちに遠慮したわけではなく、商売が苦手だから、山城屋の養子となれば店を大きくしなければいけない、と答える。

 松吉は梅吉に、この冬また半兵衛の寒天場へ行くつもりだと話す。その夜、松吉はその考えを和助たちに伝える。そこまでする理由を聞かれた松吉は嘉平との話〜腰の強い寒天で新たな料理を作りたい〜を伝える。話を聞いた善次郎は、松吉の思う通りにやらせてみたらと話す。和助も、半兵衛に松吉が知恵を貸し、半兵衛が作ったものを井川屋が全て買い取るなら寒天問屋の仕事となる、と賛成する。霜月1日、松吉は寒天場へ。

 寒天場で松吉は様々なことを試みるが新たな寒天はできなかった。寒天を干す時間を変えてみようとした松吉に、半兵衛は草割り〜寒天の材料となる海藻の割合〜から変えてみたらどうかと助言する。松吉は草割りをいろいろと変えて試すが、良い寒天は作れないまま、春を迎え、天満に帰る。

 翌冬も松吉は寒天場へ行き、新たな寒天を作ろうと様々なことを試すが、やはりうまくいかなかった。

 

 真帆の店が火事に 松吉4度目の寒天作り挑戦

 1791年神無月10日。明け方火事が発生。火元が真帆の住むあたりだと聞いた松吉は店を飛び出そうとして、和助たちに止められる。松吉は何度も火事に合う真帆の不幸に涙する。翌朝、真帆を探しに行こうと店を出ようとした松吉は、戸板に衣があることに気づく。それは真帆の手拭いだった。まだ真帆が近くにいると思った松吉は真帆を探し天満宮へ。そこでお広を庇う真帆を見つける。松吉は真帆に声をかけず店に戻る。帰り道、松吉は真帆の思いを受け号泣する。

 翌月、松吉はまた寒天場へ。しかし思うような寒天は作れなかった。

 

 寛政の北の大火

 1792年弥生。松吉24歳。桜の咲く大川を歩きながら、梅吉は松吉に、いつまでもできない寒天のことで悩むのはやめにしたらどうか、真帆の店も元通り団子屋を順調にやっている、と話す。松吉は寒天作りを諦める決心をする。

 卯月1日。雲仙岳が噴火。庶民は浅間山噴火のことを思い出し憂鬱になっていた。

 皐月16日。未明に火事が発生。井川屋にも火の手が回りそうなため、松吉と梅吉はべか車に和助と善次郎を乗せ店から避難。「寛政の北の大火」だった。鎮火した町に戻った4人は、井川屋だけが奇跡的に無事だったことを知る。善次郎は天神さんに感謝するが、翌朝その天満宮が焼けてしまったことを知り、和助や善次郎は泣き崩れる。

 秋。大火の復旧もままならず、町は元気をなくしていた。梅吉は山城屋に見舞いに行くが、ご寮さんは寝込んでおり、商い再開の目処も立っていなかった。

 

 梅吉、山城屋の養子に 松吉5度目の挑戦へ

 そんな時、お広が寒天を求めて店を訪ねてくる。梅吉は問屋だからと断ろうとするが、店先に出てきた和助がお分けするように言う。その和助の姿を見たお広が、去年の火事の時の、と話しかける。和助は天満宮でお広と真帆を見かけ、巾着を渡していた。お礼を言うお広に、和助は娘さん、おてつさんに寒天を買ってもらいましょうと答える。

 その夜、梅吉は松吉に山城屋の養子になろうと思うと打ち明ける。山城屋の主人夫婦に可愛がってもらったから、今こそ恩返しがしたいと。

 神無月。梅吉は井川屋を辞め、山城屋の養子となる。

 数日後、松吉は、和助たちにもう一度寒天場へ行きたいと訴える。和助は許さないと答えるが、翌朝、松吉はそっと井川屋を後にする。

 

 

 この章のポイント

 半兵衛の寒天を仕入れ始めた井川屋が評判となり、井川屋は安定した商いができる一方、前章で新たな寒天作りに失敗した松吉は、その翌年からも寒天場へ行き、寒天作りを試すが、失敗が続く。大阪では毎年のように大火が発生。真帆の店も焼けてしまうが、真帆は井川屋に自らの無事を知らせる手拭いを置いて行く。

 4度の挑戦でも新たな寒天が作れなかった松吉は寒天作りを諦めることに。寛政の北の大火が発生するが、井川屋は奇跡的に被害を受けずに済む。梅吉は、店を失い元気をなくした山城屋の養子になることを決意。梅吉の決意を見た松吉は5度目の挑戦を和助たちに願い出る。

 

 その他

・この章では4年が経過する。松吉の寒天つくりは、前章が1年目。この章冒頭で、2年目3年目の失敗が描かれる。真帆の店の火事をはさみ、4年目の失敗も。

・寒天つくりを諦めかけた5年目に寛政の北の大火が発生。梅吉が養子となる覚悟を決めたのを見て、松吉は再度寒天作りに挑戦することを決意。和助は許さないし、店に残るのは74歳の和助と59歳の善次郎であることが心配だが、松吉は旅立つことに。

 

 もう一つ、忘れてはいけないのは、2年目(1789年)松吉が今年も寒天場へ行きたいと言ったのに対し、善次郎がそれを認めたこと。1788年美濃伊勢屋が焼失した際に和助がそれまで貯めていた銀一貫を使おうとした際、善次郎は仇討ちを買うのとは違う、と認めたが、その際松吉はまだ許されていないと感じていた。しかしここでは善次郎が松吉の後押しをしてくれているのだ。

 

 松吉の挑戦は失敗が続き、本人も諦めかけたところで、また大火。しかし今回の大火は逆に松吉に再度寒天作りへの挑戦を決意させるためのものだった。この辺りの展開も上手いなぁ。