お早よう

●692 お早よう 1959

 東京の郊外にある新興住宅地。隣家との間が狭いこの住宅に、組長の原口家をはじめとして、林、大久保、丸山、富沢の6家族が暮らし、林、大久保、原口家には中学生の子供がおり、一緒に仲良く通学していた。

 子供たちは額を押すとオナラが出るという遊びに夢中で、林家の子供は軽石を食べるとオナラが出るという噂を信じて軽石を削り食べる毎日。また子供のいない丸山家に入り込み、TVで相撲を見るのを楽しみにしていた。しかしそれぞれの母親たちは丸山家の二人が西洋かぶれしていることを毛嫌いし、丸山家に子供たちが行くことを禁止していた。

 ある時一人の主婦がこの一帯の町会費が収められていないと聞いてくる。組長の原口家では最近洗濯機を買っておりその支払いにお金を回したのではないかと噂する。その噂が原口家の母きく江の耳に入り、彼女は激怒。町会費を集めきく江の元へ持ってくるはずの林家へ行き、民子にお金をもらっていないと話す。しかし民子は先月末にきく江の母に渡したと答える。民子は母からお金を受け取っていない、母が受け取ったなら私に渡すはずだと反論する。しかし家に戻ったきく江は母からお金をもらっていたと聞き民子に謝罪する。

 林家の子供たちは親から丸山家にTVを見に行くことを注意され、それならTVを買ってくれと親たちにしつこく迫る。それを聞いた林家の父は激怒。男がいつまでもグズグズ喋るなと怒られ、子供たちはそれなら一切喋らないと反撃に出る。

 翌日になっても子供たちは無口を貫く。学校に行くために家を出るが、隣家の原口家のきく江の朝の挨拶にも無反応のまま。きく江は子供たちの態度を見て、昨日のお金の件で民子が怒っていると勘違いをし、それを近所の主婦たちに話す。学校に行っても子供たちは喋らず、教師に授業中刺されても喋らないままだった。その日、学校では給食費を明日持ってくるようにと指示があった。家に帰った子供たちはジェスチャーでそれを親に伝えようとするが、うまくいかなかった。

 その後も子供たちは無口を貫く。喋らないのでおやつももらえずお腹は空いていた。しかしある日教師が家にやってくる。それを見た子供たちはお櫃とお茶を持ってそっと家を抜け出し、河原でそれを飲み食いする。通りかかった警察官に見つかり、子供たちは逃げる。教師から給食費のことを聞いた親たちは事情を教師に話す。

 林家の隣家、富沢家の夫が定年となり新たに電気店のセールスマンとなったと林家に挨拶に来る。早速電化製品のカタログを見せ、何か買いませんかと言われた林家の夫婦はお祝いに何か買わなければと答える。

 林家の子供たちが夜になっても帰らず、皆で探し始める。子供たちが英語を教えてもらっている福井も探しに出て、子供たちを連れて帰って来る。子供達が家に帰るとその子にはTVの箱があった。喜ぶ子供たち。

 翌朝、子供たちは元気に学校へ出かける。きく江にも挨拶をし、それを聞いたきく江は何があったのかと不思議がる。

 

 

 小津監督生誕120周年を記念して昨年12月に連続して作品が放送された。2024年1本目の映画として本作を鑑賞。「東京物語」で映画賞を受賞した監督が次に製作した一本らしい。

 本作はこれまで観てきた小津作品とはちょっと趣が異なる。新興住宅地に暮らすいくつかの家族が描かれており、林家の子供たちによるTV騒動がメインだが、主婦たちの近所付き合いエピソードも毒を持って描かれている。前半の町会費未納を巡る主婦たちのやりとりはなかなか強烈。特にそこへ当時需要が高まりつつあった家電の購入が絡むので主婦たちの噂話はあっという間に広がって行く様が面白い。その後の子供たちの反撃に勘違いした主婦たちのやりとりまである。

 後半は子供たちの可愛い反撃がメイン。学校でも無口を貫く子供たちがどうしても喋りたいときに使う「タイム」のポーズがまた可愛い。ここに定年退職した隣家の主人の再就職先が電気店だったということで見事なオチがつく。

 

 前半後半それぞれにエピソードがあり、映画は進んで行くが、実は上手く?隠されたテーマが二つあったように思う。

 一つはTVを巡る大人たちの会話。林家の夫、笠智衆が飲み屋で他の客と話す、TVの功罪。1億総白痴化という言葉が懐かしい。映画人であった小津監督がさりげなくTVの批判をしているように思えるがどうだろうか。

 もう一つは理科の主人との話で出て来る、定年後の生活の話。東野英治郎扮するサラリーマンが定年になってもお金がなく困る、という愚痴を飲み屋で話すシーンが印象深い。その東野英治郎が後半のTV騒動のオチをつけるのだから、上手いとしか言いようがないのだが。そしてさりげなく笠智衆にも定年が迫っていることが語られるシーンもある。よく考えて見ると定年間近だと思われる笠智衆にまだ幼い子供がいるのも不思議な話なのだが(笑 本作が公開された1959年、笠智衆さんは既に55歳。前回観た「麦秋」に続き、老け役ではない笠智衆さんが目新しいが、さすがに本作での若い?役はちょっと無理があったか。

 

 「麦秋」でも書いたが、やはり本作でも当時(1959年、昭和34年)の暮らしぶりが見事に描かれている。TVなど、3種の神器と言われた家電が一般人の生活に入って来る過渡期。お隣さんとの距離が、物理的にも感覚的にもまだまだ本当に近かった時代。TVなどで昭和を懐かしむ番組が時々放送され映像ではよく見る時代だが、映画でこのように暮らしぶりを残すことは本当に意義のあることだと思う。そればかりが目的ではなかっただろうが、そんな意味でも価値のある一本だと思う。