コッホ先生と僕らの革命

●761 コッホ先生と僕らの革命 2011

 1871年、対仏戦争に勝利したドイツは学校の体育の授業に力を入れていた。

 1874年、イギリス帰りのコッホは英語教師として赴任してくる。電信設備が整いやっと学校でも電信が打てるようになったそんな時代だった。校長のグスタフはドイツ初の英語教師コッホに期待しており、赴任初日から授業をするように命じる。第4学年のクラスに出向いたコッホ、生徒たちと話をすると彼らがイギリスのことを知らず野蛮だと見下していることを知る。そんな中、クラスのボーンシュテッドが同じクラスのリーダー格であるフェリックスからイジメを受けていることに気づく。ボーンシュテッドはやってもいないイタズラで退学処分になろうとしていた。

 フェリックスは父リヒャルトが学校の後援会会長を務めており労働者階級のボーンシュテッドを嫌っていることを知ってイジメをしていたのだった。ボーンシュテッドの母は工場で働いていたが、息子をアメリカ留学させる夢を持っており、息子の退学処分を撤回してもらうために校長に直談判に行く。

 コッホはスポーツ器具製造会社のパーティに呼ばれる。その会社社長の息子オットーもコッホのクラスの一員だった。パーティにはフェリックスとリヒャルト親子も出席しており、コッホはリヒャルトから学校ではドイツのルールを守るように言われる。

 コッホは英語の授業をするが生徒たちの反応は良くなかった。コッホは彼らを体育館に集めサッカーを教えることに。初めてサッカーを体験した生徒たちはサッカーに興味を持ち始める。特にボーンシュテッドはサッカーのセンスがあった。しかしフェリックスはサッカーをするコッホの考えには同調できないでいた。

 フェリックス以外の生徒たちはサッカーに夢中になって行く。そして徐々に他の教師たちの一方的な指導に反発して行く。学校側でもコッホのサッカー授業が問題になって行く。ある時クラスを訪れた教師にボーンシュテッドがボールを蹴ってしまいその教師が怪我を負う。ボーンシュテッドは罰として独房へ入れられ、コッホの授業でサッカーを行うことが禁止されてしまう。ボーンシュテッドの母親もコッホに文句を言いにやってくる。

 コッホは授業でのサッカーはやめると宣言するが、学校外でサッカーをする分には問題ないだろうと生徒たちに話す。生徒たちは喜びその考えに同調する。しかしフェリックスは参加しなかった。学外でのサッカーが始まる。その頃家の若いメイドに惚れていたフェリックスは父親が彼女をクビにしたため彼女に会えなくなっていた。フェリックスは密かに皆がサッカーをしている場所へ行く。そこにはメイドだった彼女もボーンシュテッドに誘われ来ていた。彼女と会話をしたフェリックスはサッカーに参加する。コッホはイギリス留学時の友人にサッカーの対抗試合がしたいと手紙を書く。

 

 生徒たちは体育の授業でサッカーでケガをしたことを言えないため、教師から厳しく指導される。それに反発した生徒たちは教師を釣り上げた状態で逃げてしまう。また体液軍人を迎えた授業では、その軍人が戦争で足を失っていることを侮辱してしまう。このことが問題となり教師たちはコッホの指導を問題視し始める。話を聞いたコッホは生徒たちにフェアプレー精神の話をし、教師たちに謝罪するように話すが生徒たちは受け入れなかった。

 サッカーを生徒たちがサッカーをしていたことがフェリックスを問い詰めたリヒャルトにバレてしまう。リヒャルトはサッカーをしている生徒たちを捕まえ、全員を退学処分にしようとする。コッホは全て自分の責任だと話し、自分が教師を辞任するので生徒たちは許してやって欲しいと言い学校を去ることに。フェリックスは一計を案じ、独房に入れられていた生徒たちを解放するとともに、電信を使って政府へサッカーの教育への有効性を確認するよう依頼する。

 コッホは学校を去る日、政府の視察団が学校へやってくるとの連絡が入る。コッホの辞任やサッカー禁止令が一時的に中断されることに。しかしそのことを知ったリヒャルトはある手を打つことに。それは新聞社にサッカーをしている生徒たちを取材させ、その危険性を新聞で訴えることだった。新聞の報道があり、生徒たちの親は子供たちにサッカーをすることを禁じる。メイドも職を失ってしまう。それを知ったボーンシュテッドはフェリックスに伝えに行くが、彼は2階の窓から落ちて怪我をしてしまう。

 リヒャルトの作戦は成功し、コッホは今度こそ辞職することに。コッホが学校を去ろうとしたその時、彼の友人がサッカーチームを引き連れてイギリスからやってくる。生徒たちは教師の脅しを無視しサッカーをしに外へ出て行く。同時に政府の視察団もやってくる。全ての判断は視察団にしてもらうことに。

 生徒たちはボーンシュテッドやフェリックスにも声をかけ皆で試合に臨む。さらに街の住人やスポーツ器具会社の人々も試合を観戦しにやってくる。

 試合が始まる。序盤チームはリードを奪われ、観戦していた視察団もサッカーの有効性はないと判断していたが、後半チームは逆転、観客だけでなく視察団も試合を見て熱狂する。

 その翌年である1875年、コッホは生徒たちとサッカークラブを設立、サッカーはドイツ国内に広まって行く。しかし全ての地域でサッカーが解禁されたのは1927年だった。

 

 

 NHKBSで放送される映画がこのブログで観たものばかりになってしまったため、昨年録画しておいた本作を鑑賞。

 サッカーがドイツで認知されるきっかけとなったエピソードを描いた映画なのだが、自分が一番好きな子供たちが活躍する、気持ちの良い作品だった。

 

 ドイツでまだ英語を習うこと自体が見下されている時代、主人公の教師は英語を教えるために学校に赴任、案の定生徒たちは英語を真面目に習おうとはせず、見かねた教師がサッカーを教えることでイギリスの文化を学ばせようとする。サッカーは知った生徒たちはすぐに夢中になり、従順に従うことしかしてこなかった生徒たちは自分の考えを表に出して行くことも学ぶ。この辺りはよくあるストーリーだと思っていたが、やはり旧態依然とした大人たちがその考えに反発、生徒や教師は何度もサッカーができなくなる窮地に追い込まれて行く。それでも彼らはそれを乗り越えるが、最後はマスコミを使った妨害工作にあい、サッカーをしていた生徒たちが捕まってしまうという決定的なダメージを受ける。

 ここまででも何度もピンチに陥っていたが、生徒たちが捕まるというシーンは本当に絶望的に描かれる。映画なのでこのまま終わるはずはないとはわかっていたものの、この何度も妨害されるシーンの連続は、ラストの盛り上がりに向けて本当に出来の良い展開だった。そしてイギリスチームと視察団の到着で、ラストの試合へ。観客や視察団が試合を見ながら徐々に盛り上がって行く様はまさにサッカーの持つ力を表している。

 

 サブエピソードもいくつかあったが、スポーツ器具会社の息子オットーが良い。おデブちゃんのためスポーツには無縁に思えていた少年がゴールキーパーとして、また会社社長の息子としてサッカーボールを作り上げ、しかもラストの試合ではそのボールを販売、観客が熱狂し始めるのを見て、ボールの値段を上げることまで(笑

 労働者階級の息子ボーンシュテッドと母親のエピソードは、貧乏モノには定番。対する資本家階級のフェリックスと父親のエピソードも同様だが、そこにメイドとの恋愛を絡ませたのが上手かったかな。ラストの試合では、ボーンシュテッドからのパスを受けたフェリックスがヘディングで逆転のゴールを決めるというのも、お約束ながら見事な結末だった。

 サブエピソードと言えば、映画冒頭で学校に電信が使える設備が整った、というシーンがあり、この時代背景を見せたものだと思って観ていたが、これがラストにつながる重要な伏線だったとは。ニヤリと笑った校長の秘書の女性の表情が最高(笑

 

 ドイツ映画というとヒトラーを描いたものしか観たことがないが、こんな傑作もあるんだと認識させてもらった。