キネマの神様

●607 キネマの神様 2021

 2019年、ラクビーW杯で日本が盛り上がっている。映画雑誌を作る出版社に勤める円山歩に父の借金返済が滞っていると借金取りから電話が入る。歩の母淑子は街の映画館で、歩の父ゴウはシルバー人材センターで働いていたが、ギャンブルや酒に金を使ってしまっていた。家に帰った歩だったが、家まで借金取りが来ていた。歩は手持ちの金を払い借金取りを追い払う。5年前にも歩はゴウの借金を代わりに払っていた。歩はゴウに借金の総額を聞こうとするが、ゴウは答えなかった。

 歩は淑子とギャンブル依存症家族の会に参加、アドバイザーの助言を聞き、ゴウの借金をゴウ自身で払わせることに。ギャンブルと酒を取り上げられたら、何をしてら良いかわからないといゴウに、淑子は映画を見れば良いと話す。

 ゴウは映画館テアトル銀幕へ。館主テラシンはゴウの旧友であり、リバイバル上映するする映画「花筏」を流すので見ていけと話す。「花筏」はゴウが助監督を務めた映画だった。

 回想シーン。「花筏」撮影現場。出水監督、主演女優桂園子などとともにゴウは映画製作に追われる日々だった。ゴウは近所の食堂の娘淑子を映写技師のテラシンに紹介する。ある日、ゴウは園子にドライブに誘われ、テラシンや淑子を連れて行く。園子はゴウと二人きりが良かったと話す。テラシンは淑子の写真を撮影する。

 回想シーン続き。食堂でゴウは3人の前で自分が考えている映画「キネマの神様」の脚本の内容を話す。3人はそれを絶賛する。テラシンが病気となり、淑子が見舞う。テラシンはゴウに淑子のことが好きだと告白、ゴウはラブレターを書くようにアドバイスする。淑子のことが好きなゴウは食堂に行くことを控えるが、ある日園子から淑子が会いたがっていると聞き、食堂へ。そこで淑子からテラシンにラブレターをもらったことを聞くが、淑子が好きなのはゴウだった。淑子は断りの手紙を書き、ゴウからテラシンへ渡してもらうことに。ゴウはテラシンに淑子の手紙を渡し、テラシンは二人が好き合っていたことを知る。ゴウはテラシンの方が好子に似合っていると話し、彼を激怒させる。

 9年前。淑子は映画館「テアトル銀幕」の従業員募集の広告を見て応募、テラシンと面接をするが、その場でお互いのことがわかり再会を果たす。

 回想シーン。ゴウの脚本が認められ初監督をすることに。しかしゴウは緊張のあまり撮影初日下痢になってしまい、撮影がしばしば中断することに。さらにカメラアングルに関してカメラマンに反対をされ続けてしまい、投げやりになった結果、上部から落ちて怪我をしてしまう。才能がないと自信を失ったゴウは会社を辞め田舎に帰ることに。淑子は周りの反対を振り切り、ゴウについていくことに。園子だけがそんな淑子を応援していた。

 試写を見終わったゴウは家に帰らないでいた。しかしある時家にこっそりと帰り、歩の息子であり、ゴウの孫の勇太と話す。勇太はテラシンからゴウが昔書いた「キネマの神様」の脚本を借りており、ゴウの才能を絶賛する。ゴウが金がないことを心配していた勇太はゴウに、「キネマの神様」を書き直し、脚本賞である木戸賞に応募することを提案、ゴウはすっかりその気になり、勇太とともに脚本の書き直しを始める。

 2020年。コロナが日本を襲い始めた頃、ゴウの「キネマの神様」が木戸賞を受賞する。家族やテラシンは大喜び、ゴウは祝福される。パーティで酔って帰って来たゴウは淑子に一枚の写真を見せる。それは昔ドライブに行った際にテラシンが撮影した淑子だった。二人は涙するが、その直後ゴウは倒れてしまい入院することに。

 木戸賞の授賞式の日。入院しているゴウの代わりに歩が授賞式に参加、ゴウに渡された手紙をスピーチする。そこには家族への感謝が綴られており、歩は号泣する。

 退院したゴウはテアトル銀幕でリバイバル映画を見る。コロナでテアトル銀幕も閉館の危機に見舞われていた。淑子と歩はテラシンに木戸賞の賞金の残りを渡す。ゴウは桂園子が出演している映画を見ている最中に、「キネマの神様」で書いたように、園子が映画から抜け出てくるのを体感、園子と会話し映画作りに戻るように誘われたゴウはそのまま息をひきとる。

 

 山田洋次監督作品。「男はつらいよ おかえり寅さん」の次の作品に当たる。さらに松竹100周年記念作品でもある。

 山田監督がここ数年監督したものは、シリーズ物ばかりだったため、ちょっと新鮮な感じで観ることができた。本作は主演予定だった志村けんさんがコロナで亡くなったため、沢田研二が代演?したことが大きな話題となっていた。

 そんなこともあり、今回観るまで内容については全く知らなかった。映画冒頭で昔の映画が映し出され、そこに出ている女優さんがずいぶんキレイな人だなぁと思ったが、それが北川景子だと気づいてビックリしたほど。

 ストーリーは、現代と過去を交互につなげる展開で、「お帰り寅さん」を彷彿とさせるもの。原作がある作品だが、内容は大きく異なるらしい。松竹100周年記念作品に合わせたとも言えるのだろうが、寅さんファンとしては、やはり「お帰り〜」で過去の寅さん作品を多く見返す作業の中で、この作品のイメージが出来上がったのではないかと思いたい。そう言えば、菅田将暉演じる主人公が自分の脚本について語るシーンは、寅さんのアリアを彷彿とさせるものだった。山田監督ならではのシーン。

 

 主人公の現状とリバイバル映画を見ることで過去の主人公の姿が描かれる前半。そうしようもないダメ老人である主人公が映画を通して立ち直る、という展開が予想されたが、そのものズバリ、自身が昔書いた脚本を現代風にアレンジして再起する、という展開は、映画ファンや高齢者には夢のある展開だったと思うし、山田監督ならではのストーリーだったと思える。ラスト前の授賞式でのスピーチは泣けるもので、ここで終わりではないのかと思ったが、もう一つドラマが待っていた。

 コロナで閉館の危機を迎えたテアトル銀幕への寄付は、当時のコロナ禍での日本の映画館への山田監督の応援メッセージであることは容易に想像できる。その後の、映画からスターが抜け出てくるというシーンは、主人公が思いついた脚本そのままであり、見事な伏線だったと思う。ネットでこのシーンについて、糟糠の妻である淑子ではなく、スター園子に導かれて亡くなってしまった展開に疑問を呈する意見があったが、これはあくまでも映画作りに情熱を燃やした青年時代を送った主人公の幸せな最期を現したもので、銀幕から出て来たのが園子であったことに大きな理由はないと思うのだが。

 松竹100周年、コロナなど監督の思いはいろいろあったと思うが、それでも本作の根底にあるのは、一番大事なのは家族である、という山田監督の変わらぬ信念だったことはさすがだと思う。