ある天文学者の恋文

●678 ある天文学者の恋文 2016

 天文学専門の大学教授エドとその受講生で大学生のエイミーは恋人。エイミーはスタントマンの仕事もこなしていた。二人はあまり会えないため、携帯でメッセージを送り合っていた。

 エドが仕事のため不在が続き、講義も代理の講師が行なった日。エイミーはいつも通りエドからのメッセージを読んでいたが、代理講師は講義の場でエドが亡くなったと告げる。エイミーは自宅に戻りネットを調べ、エドの死が本当だと知る。

 しかしエドからのメッセージは届き続ける。エイミーはエドの実家を訪ねるが家を訪れることはできなかった。墓地を探していると弁護士を紹介される。弁護士はエドからの手紙をエイミーに渡す。そこにはエドの父の形見の指輪と別荘の鍵が入っていた。

 エイミーは別荘に向かう。そこでエイミーはエドが彼女のために3ヶ月別荘にこもり彼女へのメッセージを書き続けていたことを知る。そしてノートパソコンとDVDを受け取る。DVDに入っていたビデオメッセージで、エドはエイミーに説教を始める。エイミーの父の事故死、それが彼女が危険なスタントを続ける理由になっていること、彼女の母親にも会ったこと、など。エイミーはその内容に衝撃を受け、DVDを暖炉に投じてしまう。しかしすぐに思い直しDVDを拾い、別荘を後にする。

 エイミーはエドが語っていたメッセージを止める手段を実行してしまう。その後後悔しメッセージ停止をキャンセルしようと試みるがその方法はわからなかった。DVDのデータの復元も試みるがデータが破損していて見ることはできなかった。

 エイミーはエドの実家に連絡。彼の娘と会うことに。彼女はエイミーのことを詰るがエイミーのことを羨ましく思うと本音を語り、父エドのビデオカメラをエイミーに渡す。それはエドの主治医から預かったものだった。エイミーはエドの主治医と会い最期の時期の話を聞く。 エイミーはビデオカメラも調べるがデータは残っていなかった。しかしメディアが残されている可能性を指摘され、再び別荘に向かう。そこでエイミーはエドのカバンを手に入れる。そこにはメモリーカードが入っていた。カードを再生するとエドがエイミーのためにビデオメッセージを取り続けた生データが入っていた。エイミーは不仲となっていた母親に会いに行く。そして父の死に対してのわだかまりもなくなり、父の死を思い出させるため断っていたスタントも成功させる。

 エイミーの住むアパートが泥棒に入られる。住民皆が被害を受け、エイミーもノートパソコンやDVDなどを盗まれてしまう。絶望するエイミー。その時別荘にあったメモ帳からメッセージ復元のためのメッセージを思いつく。エドからのメッセージがまた届くようになる。

 エイミーは母親に会いに行く。エドは母親にも手紙を託していた。それはエイミーの卒業論文に関するアドバイスだった。その後もエドからのメッセージが届き続けるが、それはこれまでと異なり、タイミングを逸していたり内容がトンチンカンなものであったりして、エイミーは微笑むことになる。

 エイミーは論文を完成させる。そこにエイミーは星の寿命とその星が届ける光との時差があることを書く。それはエドからのメッセージと同じだった。エイミーの論文は高く評価される。エイミーは弁護士からエドの遺言で別荘を送ると知らされる。エイミーが別荘に行くとエドからのDVDがあり、DVDにはエドからの最後のビデオメッセージが入っていた。

 エイミーは以前にした自らがモデルの石膏像を見に行く。そこにスタントの仕事の仲間がおり食事に誘われるが断る。しかしまた連絡すると話しエイミーは去って行く。

 

 

 「ニューシネマパラダイス」のトルナトーレ監督の作品。

 年の差があるカップルの生活が描かれ始めるが、突然男性の死が明らかになる。しかし女性の元には死んだはずの男性からのメッセージが届き続ける、という序盤。ここまで観た時には、正直SFっぽい話になるのかと思ってしまった(笑

 しかしそんなことはなく、女性をこよなく愛した男性が、自分の死後も女性がさみしがらないように様々なメッセージを送り届けることになる。確かに現代の私たちはこれを可能にする方法を知っており、なかなか面白いところに目をつけた映画だな、と感じた。ただ、この後の展開をどうするのかと思っていたら…

 

 映画冒頭での二人の会話が伏線になっており、女性には男性に話していない秘密があった。自分の父の死に関わる事故。それは同時に女性が死をも恐れないスタントの仕事をし続ける理由にもなっていた。男性はビデオメッセージでそれを女性に指摘する。思ってもみなかったメッセージに女性は戸惑い、男性から告げられていたメッセージを断ち切る手段を実行してしまう。そしてすぐに後悔、メッセージの復活を試みるがどの方法も成功しない。

 女性が男性からのメッセージを復活させようとするのが中盤以降の展開。メッセージ復活を諦めた女性は男性の関係者に接触し、なんとか直接男性からのメッセージを入手しようとするが…。

 ある事件をきっかけにメッセージ復活の方法を思いついた女性。やっと男性からのメッセージを入手するが、男性が残したメッセージにも限りがあった。そしてラストメッセージとなるビデオを観ることになる。

 

 男性が天文学者であり、女性もそれを専門とする学生。女性が書く論文に、星からの光が何万年何億年前に星が発したものだ、という趣旨が書かれる。それは男性からのメッセージと同じ意味を持つ。死後男性から送られたメッセージが、星からの光と同じだということ。

 先月観た「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」でも同じことを語るシーンがあったことを思い出す。方法や意味合いは異なるが、亡くなった人からメッセージを受け取ることは可能なのだ、というテーマは同じだろう。

 

 本作では愛し合った二人におけるメッセージが「それ」にあたるということを示唆しているが、本作がトルナトーレ監督の作品だということを考えれば、それが『映画』にも通じるものだというテーマも隠されているのではないだろうか。何十年前の映画であっても、監督や出演している俳優さんたちが亡くなっていたとしても、私たちは古い映画からでもメッセージを受け取ることはできる。

 「ニューシネマパラダイス」のトルナトーレ監督の作品だからこそ、こちらこそがメインのテーマだったと思いたい。