俺たちは天使じゃない

●481 俺たちは天使じゃない 1989

 1935年カナダ国境に近いアメリカ刑務所。ネッドとジムは同じ囚人のボビーが電気イスにかけられるのに立ち会うことに。しかしボビーは刑執行直前に看守たちを撃って逃亡、ネッドとジムも一緒に脱獄することになる。

 刑務所から脱獄した3人、ボビーは一人逃亡し、ネッドとジムは2人で逃げようとするがお互いの足を鎖で繋がれていた。2人は老婆が車で野生の鹿を轢き殺す場面に遭遇。老婆から鹿を殺すために渡されたライフルで鎖を切ることに成功する。2人は老婆に神父だと勘違いされ、その後老婆の車に乗ってカナダ国境のある街へ。この街は聖母像の祭りの最中だった。

 2人は街で買い物をしている時に老婆と再会、神父だと紹介される。2人はカナダへの橋を渡ろうとするが、そこに神父がおり、教会へ来る予定だった2人の神父だと勘違いされ教会へ連れ戻される。言葉を求めらるなどの試練があったがジムの機転でなんとかその場をしのいでいく。ネッドは街の鍛冶屋の道具で足についた足枷の切断に成功。その時保安官助手に女と寝たという懺悔を受けることになり、その女性モリーに会いにいくことに。モリーは耳の聞こえない娘を持っており、娘の治療のために金を取って男と寝る女だった。

 2人は神父の格好で再度カナダへの橋を渡ろうとするが、モリーに話しかけられてしまう。その時カナダ側に刑務所からの脱獄犯を捕まえるための捜査員たちが到着。2人はまたもアメリカ側へ戻ることに。2人はカナダへ逃亡する手段を考えるが良い案が思いつかなかった。

 ネッドは教会の神父から明日の祭りでカナダへ聖母像を運ぶということを聞き祭りに参加することに。しかし参加するためには障害者を同伴する必要があると言われてしまう。ネッドはモリーの娘を連れていくことを思いつき彼女にその話をするが、モリーは金を要求して来る。ネッドとジムは聖母像に寄付された金を奪おうとする。

 そんな時脱獄犯が雑貨屋に押し込み撃たれたという話がネッドの耳に入る。雑貨屋へ行くとそこにいたのはボビーだった。驚くネッドだったが、ボビーはネッドの服装を見て事情を察し、逃亡を助けろと脅迫する。一方ジムは祭りの抽選に当たり大勢の観客の前で話をすることに。アドリブで想いを伝えたジムの話は観客の心を掴む。モリーもその一人で、彼女は金を要求することなく娘をネッドに預ける。ネッドはジムの話に皆が注目している間にボビーを牢屋から助け出しカナダへの行列に紛れ込ませる。

 聖母像がカナダ側へ渡る橋に差し掛かったところで神父たちがボビーがいることに気づく。ボビーは銃を乱射、モリーの娘を人質にするがジムが応戦、その隙に保安官たちによりボビーは射殺される。しかし騒ぎの中モリーの娘が川へ転落してしまう。ネッドは娘を助けるために川へ飛び込み彼女を救い出す。ショックのおかげで娘は言葉を発するようになり、ネッドとジムのことを脱獄犯だと話すが、言葉を勘違いした神父によって救われる。

 翌日2人は川を渡りカナダへ向かおうとするが、ジムは教会に戻ることに。ネッドはモリーとともにカナダへ向かう。

 

 ボギー版のオリジナルを随分と昔に観たことがある。話の内容は覚えていないが楽しい展開だと記憶していた。しかし本作は冒頭からハラハラドキドキが止まらない。死刑囚による強引な脱獄。看守たちを射殺しての脱獄のため、主人公たちの未来が暗いものに思えてしまったし、脱獄犯なのに街中でウロウロせざるを得ない状況もハラハラするばかり。

 しかしだんだんと2人のおとぼけブリが増していく。さらに教会の人間たちとのエピソードやモリーとのエピソードなど人情味も出て来る。ラストの祭りのメインイベント?前にボビーが登場し再度ピンチとなるが、見事な結末。ちょっとしたカタルシスを感じるぐらいに。

 オリジナルが楽しい結末だった(ボガードに羽が生えたか、頭に光の輪ができたか、どっちだったか?要はボギーが天使になったというエンディングだったように覚えているが)だけに、本作もそれに準じたということだろう。

 しかしデニーロのコメディアンぶりには恐れ入る。というか、日本のバラエティで芸人さんたちがやるデニーロのモノマネ通りの演技じゃん(笑