ガンファイターの最後

●510 ガンファイターの最後 1969

 列車が町に到着、棺桶が乗せられ、それを見た黒衣の女性も列車に乗る。

 保安官パッチはルークに馬小屋で撃たれそうになるが逆に撃ち殺す。ルークは自分の妻をパッチに寝取られたと思っていた。正当防衛だったが、パッチとルークの妻のことを知る町の住民はパッチが邪魔なルークを殺したと思い込んでしまう。

 町議員たちはパッチの暴力的なやり方に辟易していた。彼らは集まり、保安官パッチをクビにするために署名をし、彼に見せる。しかし就任時に好きなだけ保安官でいて良いと口約束していたパッチは署名を無視。町議員の一人アンドリューを殴り倒してしまう。

 アンドリューの息子ウィルはパッチに殴られた父親を非難する。怒ったアンドリューはライフルでパッチを撃とうとするができず、逆にパッチに追い詰められ、自殺してしまう。

 町議員たちはルーク殺しを殺人とし、郡保安官のルーを呼ぶ。メキシコ人のルーはかつて自分を差別をしなかったパッチに恩義を感じており、パッチに殺される前に町を出るように進言するが、パッチは聞き入れなかった。それでも町の住民たちの反感を感じたパッチは、恋人クレアと結婚をすることに。

 パッチの結婚式当日、酒場の主人たちに煽られたウィルはパッチを殺そうとする。しかし逆にパッチに撃たれてしまう。瀕死のウィルはパッチに父との関係を聞く。パッチはウィルの父が以前ある男を背中から撃ったこと、その男に息子がいたこと、父親がその息子を引き取ったことを話す。その話を聞きながら、ウィルは死んでいった。

 酒場の主人たちがパッチを殺そうとするが、パッチは反撃、主人を捕まえる。全てを終えたパッチは負傷しながらもルークの葬儀に参列する。しかし教会を出た彼を待っていたのは、多くの男たちの銃だった。彼は大勢に射殺される。

 クレアは喪服を着て、パッチの棺桶とともに列車に乗り込む。

 

 うーん、なんとも言いようのない西部劇。60年代最後に作られたということもあり、テーマもストーリー展開も迷走した感じを受ける。

 原題が「Death of a Gunfighter」で、ガンファイターが死ぬことが明示された上、冒頭、黒衣の女性が棺桶の乗る列車に同乗するシーンから映画がスタートするため、ガンファイター(主人公)が死ぬことを前提で映画を見ることになる。映画は保安官である主人公がどう行動していくのか、という点に注目することになるのに、結末がわかっているようで、そこは大きなマイナスだったように思う。

 車なども登場していることから、西部の時代も終わり頃であり、町議員が発言しているように、町を近代化していきたいと願っている時代。これまでは町を守るために、凄腕のガンマンが多くの悪者を撃ち殺してきたのだろうが、それが時代に合わなくなってきた、しかしそれを受け入れることのできない保安官、というのがテーマなのだろうが、冒頭から町議員だけでなく、住民たちも保安官に良い感情を持っていない理由がよくわからない。アンドリューとの過去の関係は明らかにされるが、酒場の主人や町議員たちが必要に保安官を嫌う理由も説明がない。

 少なくても映画の中で起きたパッチが絡む2つの事件は正当防衛と自殺であることが明らかであるため、余計に保安官が孤立していく理由がわからない。

 将来に絶望し結婚をしながらも死を選ぶ主人公は、この後のニューシネマの先駆けなのだろうか?ただただリチャードウィドマークの表情だけが印象に残る一本だった。