晩春

●620 晩春 1949

 紀子は父周吉と二人暮らし。叔母まさと茶道を習うなど仲良くしている。紀子は父と東京に出かけた日、父の友人である小野寺と偶然会い食事をする。その場で小野寺が再婚をしたと聞き、不潔だと話す。紀子は家に小野寺を連れて帰る。小野寺は周吉に紀子に不潔だと言われたと話す。

 ある日、周吉はまさと会い、紀子は早く結婚したほうが良いと言われ、大学教授をしている周吉の助手の服部はどうかと言われる。家に帰った周吉は紀子が服部と自転車で出かけたと聞き、結婚相手として服部はどうかと尋ねる。しかし紀子は服部には結婚相手がいると答える。

 周吉の家に紀子の友人アヤが訪ねてくる。アヤは結婚したのだが離婚し出戻ってきていた。アヤは紀子に結婚を勧めるが紀子は結婚はまだ良いと話す。

 紀子はまさの家に遊びにいく。そこで三輪という女性を紹介される。まさは紀子に見合いを勧めるが、紀子は結婚をすると父が一人になって困るからとその話を断る。するとまさは三輪を周吉に勧めようと話す。それを聞いた紀子は驚く。家に帰った紀子は周吉に冷たい態度を取る。

 紀子は周吉と能を観に行く。紀子はその時離れた席で三輪が能を観ているのに気づく。帰りに周吉は紀子を食事に誘うが、紀子は用事があると言って周吉と別れてしまう。紀子はアヤの家へ。そこでアヤから結婚すればと言われた紀子は怒ってアヤの家を飛び出してしまう。

 家に帰った紀子に周吉は改めてまさが勧める縁談の話をする。紀子は自分が結婚したらどうするのかと周吉に話すが、周吉は三輪との再婚を考えていると答える。ショックを受ける紀子だったが、周吉はまさの勧める縁談相手と会うように話す。

 お見合いから2週間。まさが紀子の返事の催促をしに周吉に会いに来る。紀子はアヤと会いお見合いのことを話す。アヤは見合いでも恋愛でも変わらないと話し、結婚を勧める。紀子を待っていたまさは、帰ってきた紀子にお見合いの返事を聞く。紀子は結婚を承諾、まさは喜んで帰って行く。それを聞いた周吉は再度紀子に確認する。

 紀子は周吉と京都へ旅行に行き、小野寺とその家族と会う。小野寺からは以前不潔だと言われたとからかわれるが、小野寺の妻は本当に良い人だった。京都での最後、紀子は周吉に結婚するのは嫌だ、お父さんと一緒にいたいと話すが、周吉は結婚をして幸せになるんだと諭す。

 紀子の結婚式が行われる。家で花嫁衣装に着替えた紀子は周吉に挨拶をして家を出る。その夜、周吉はアヤと酒を飲みに行く。アヤは周吉に再婚は辞めたほうが良いと話すと、周吉は再婚は嘘だったと告白する。家に帰った周吉は一人リンゴの皮をむく。

 

 最近連続して観ている小津作品5本目。昭和24年の作品であり、こんなに古い邦画は初めて観た。

 しかし内容はこれまで観た小津作品の原点となるようなストーリー。いわゆる「父と娘、娘の結婚」がテーマ。観終わった後ネットで知ったが、これが小津作品のその後を決定づける一本となった作品らしい。

 確かにここ最近観た「秋刀魚の味」とストーリー展開はほぼ同じであり、テーマも娘の結婚で全く同じ。ここ最近観た作品も本作がベースとなっていることが明らかで、ここまで同じテーマで映画を作り続けたことに驚かされる。

 さらにネットによれば本作は、多くの評論家や映画人などが様々に評価分析をしており、その内容の濃さにも驚かされる。全く話は異なるが、今月のGWに岡田斗司夫youtube宮崎駿のルパン作品を評論していたものを見た。作品の評論は誰が行っても良いと思うし、その内容が製作者の意図から外れるものであっても問題ないと思う。要は観た側がどう受け止めたかの問題なのだから。

 だから誰がどのように本作を評論しても良いと思うが、ネットにあったある意見が一番しっくり来た。「それも無意識だとかメタファーだとかではなくて、そのものを連ね、味わい情緒を高めるとても素朴なものだと思います」。

 映画はあまり難しく考えず、素直に観るのが一番でしょう(笑 私には、いつも穏やかな印象しかない原節子が父の再婚を知った時に見せた厳しい表情が一番印象に残ったかな。