コクリコ坂から

●641 コクリコ坂から 2011

 松崎海は家で営むコクリコ荘の手伝いもしている女子高生。彼女が通う学校の部室棟カルチェラタンの取り壊しが噂され、男子生徒を中心に反対運動が盛り上がっていた。そんな中、海は妹である空が同じ学校の生徒である風間のサインを欲しがり、彼が所属するカルチェラタン新聞の部室に同行することに。そこで海は風間と知り合い、お互いに惹かれあい始める。海はカルチェラタンを残すために、まず掃除を始めることを提案、他の女性生徒たちも巻き込み、カルチェラタンの大掃除が始まる。

 ある時海はコクリコ荘から出て行く北斗のために送別会を開き、その場に風間も呼ぶことに。家の中を案内していた海は、風間に亡くなった父の写真を見せる。その日を境に風間は海に対してよそよそしくなってしまう。実は海の父は風間の実の父でもあったためだった。風間はそのことを海に告げ、これまで通り友人でいようと話す。

 カルチェラタンの取り壊しが正式に決まったと知らせが入る。皆が落ち込む中、生徒会長の水沼は理事長に直訴しようと提案、風間と海も同行するして東京へ向かう。理事長は彼らの直訴を聞き入れ、翌日学校を訪問することを約束する。帰り道、海は実の兄弟であっても風間のことが好きだと告白、風間もそれを受け入れる。

 その夜、海の母がアメリカの留学から帰ってくる。海は風間のことを母に話す。母は父が亡くなった親友の生まれたばかりの子供が親なしとなったため引き取ったこと、しかし母はその赤ん坊を育てることができなかったために養子に出したことを海に告げる。理事長が学校を訪れカルチェラタンを見学する。生徒たちの想いを受け取った理事長はカルチェラタンの取り壊しを辞めると宣言。そこへ風間に連絡が入り、風間の実の父のことをよく知る友人が港にいること、しかし時間がなくまた海外へ行ってしまうことが知らされる。海と風間は二人で急いで港へ向かい、その人に会う。そして風間の父や海の父のことを話してもらう。

 

 夏のジブリ祭りということで、また金ローで鑑賞。「息子」の監督作品ということで、これまでもチラチラとは観た記憶があるが、通しでしっかりと観たのは初めてかも。

 CMで監督こそ息子の方だが、脚本は宮崎駿だと知ったので楽しみに観ていたのだが、やはりどうしても宮崎アニメとは一線を画す作品だと思わざるを得ない。舞台が高校であることや一種の学生運動がテーマであることが大きな一因なのかもしれないが、単純にカタルシスがうまく行っていないことが一番の理由のように思うのだがどうだろう?

 好きになった相手が実の兄妹だと知らされること、カルチェラタンの取り壊し騒動、という大きな2つの出来事が描かれるが、それらが無事に解決するラストが今ひとつ盛り上がりに欠けるのは、単純に細かい見せ方を失敗しているからではないのか。

 この件とは直接関係はないが、主人公海がメルと呼ばれる理由も映画の中では明かされない。いわゆる伏線未回収というヤツで、海の掲げる旗の意味こそ回収されるが、宮崎アニメではこのような伏線とその回収が見事に行われるところがメインの話とは別に見どころになっていることが多いように思う。まぁこの後映画は作ってないようだから、それも仕方なしかと思うけど。

 

 

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