限りなき追跡

●645 限りなき追跡 1953

 駅馬車が騎兵隊に守られ旅をしている。客のひとりジェニーは婚約者と結婚するために旅をしていた。他の男性客2人組は強盗スレイトンのことを噂していた。

 途中駅に着き、騎兵隊は交代する。ジェニーの婚約者ウォレンが駅にやってきてジェニーと再会する。スレイトンのことを噂していた男性はジェニーにちょっかいを出そうとしていたが、相棒の男がそれを止めていた。

 馬車は出発するが、まもなく交代した騎兵隊が偽物で強盗団だと判明、男性2人組こそがスレイトンとジェスという強盗だった。唯一本物だった騎兵隊員は射殺され、抵抗しようとしたウォレンも撃たれてしまう。ジェニーはスレイトンに連れていかれてしまう。隠れ家についた一味、スレイトンはジェニーをその後も同行させようとするが、ジェスはそれに反対、二人は殴り合いとなる。一味のボス、スレイトンに反抗したとしてジェスはその場に縛られ放置される。ハゲタカの餌食になるのが目に見えていた。

 その頃襲撃現場でウォレンが息をふきかえし馬に乗って強盗団の後を追う。隠れ家でジェスを発見、彼を助けるとジャスはスレイトンに復讐したいので同行したいと言い出し、ウォレンは受け入れる。二人は途中会った羊飼いから馬と銃を購入、スレイトンたちが行った方向を教えてもらう。街に着いた二人は保安官に人手を貸して欲しいと頼むが、管轄外だと断られる。そんな二人を原住民ジョハシュが見ていた。

 スレイトン一味は山中で休みを取り、手下に街への買い出しを命じる。ウォレンたちはその街の酒場で聞き込みをする。それを見ていた手下が2人を襲うが返り討ちにする。ジェスが一味の一人だと気付き、彼らの後を追うことに。夜寝ているジェスを原住民ジョハシュが襲う。寸前で気づいたウォレンがジョハシュを止め、彼に襲った理由を聞くと、以前一味に村を焼かれ妹を殺されたと話す。2人がスレイトンを追っていることを話すとジョハシュが仲間になると言い出す。

 ジェニーは一味の一人カーリーの助けで一味から逃げようとするが、捕まってしまい、カーリーも殺される。ウォレンたちはカーリーの死体を見つける。一味はスレイトンの愛人ステラが住む家に行き、馬を乗り換える。ステラは一緒に行きたいと話すがスレイトンに断られる。一味と一緒にジェニーがいるのを見たステラは嫉妬するが、スレイトンはステラを置き去りにし、家を後にする。ステラは一味を追うが、撃たれてしまう。ウォレンたちは荒野を彷徨うステラを助ける。

 一味はバラトというメキシコ人の酒場へ。ウォレンたちも追いつくが、バラトの家にいる仲間の多さから、その先の道で待ち伏せすることに。ジェニーは店にいた女性たちに逃げるために手伝ってくれと話すが、バラトを恐れ女性たちは協力してくれなかった。夜、ステラがスレイトンを襲おうとするが失敗する。スレイトンの手下たちは女は厄介だと話し、代わりにジェスを呼び戻すべきだと話す。スレイトンは、ジェスとジェニーを交換することをウォレンに提案する。話を聞いたジェスはそれを受け入れる。

 人質交換の場、ジェニーとジェスが交換される。しかしジェスはその場で射殺されてしまう。それを知ったウォレンはスレイトンを追おうとするが、ジェニーはそれを止めようとする。しかしスレイトンが許せないウォレンは彼を追う。廃屋で休み一味にウォレンとジョハシュは追いつき、銃撃戦となる。手下たちを倒すが、スレイトン一人が逃げ出す。ウォレンが彼を追い殴り合いとなるが、ジョハシュがスレイトンを撃ち殺す。

 

 あらすじを上記したが、これだけだと婚約者を強盗団に奪われた男の追跡劇といった感じになるが(まぁ実際その面が強い)、実は強盗団のボス、スレイトンは南北戦争で敗れた南軍の兵士だった過去があり、戦争以前の南部での暮らしを再現したいという強い思いを抱いていたことが劇中で語られる。だから手下たちにジェニーを連れて行くことを反対されてもそれには応じず、逃走先のメキシコでジェニーとともに南部での生活の再現を夢見ていた。

 ストーリーとしては、追跡者ウォレンが一人ずつ仲間を増やしていく展開となっており、その仲間となるのも、一味の一人、原住民、ボスの愛人と多種多様でちょっとユニークである。

 一味側も、ジェスが早々にスレイトンのやり方に反発、その後もジェニーを同行することをよく思っていない手下がいたり、ジェニーの逃亡を手助けしようとする若者が現れたり、一枚岩ではなかった。

 これらの展開、そしてスレイトンの南部の人間としての考え方など、80分強の映画にしてはエピソードが満載で展開も早い。50年代の西部劇らしくないと思っていたら、やはり監督がウォルシュだった。この人の映画はやはり一捻りしてあって面白い。

 蛇足だが、映像的にモノをカメラに向かって投げるというシーンが何度かあり、この時代の映画としては新鮮だったかも。映像の手法としてこの頃に確立されたものだったのかしら。