闇の顔(『時雨のあと』) 桃の木の下で(『神隠し』) 藤沢周平

●闇の顔(『時雨のあと』) 桃の木の下で(『神隠し』) 藤沢周平

 BSフジで放送された「三屋清左衛門 あの日の声」の原作となる2つの短編。それぞれ異なる本に所収されており、「闇の顔」は『時雨のあと』に、「桃の木の下で」は『神隠し』に、それぞれ所収されている。

 

闇の顔

 普請奉行志田弥右衛門と奉行助役大関泉之助が普請場で血まみれで倒れているのが発見される。斬り合いの上での相討ちと思われた。泉之助は背中を見事な袈裟斬りで斬られていたが、志田の刀に血は付いていなかった。

 知らせを受け、志田の息子勝之丞と庄五郎、大関の父助太夫がやってくる。志田の息子たちはまだ息がある志田を連れて帰る。助太夫は泉之助の実の父は赤松東兵衛だと話す。赤松は20年前、組頭丹羽内記と言い争いになりそれが素で武士を辞め百姓になっていた。泉之助は伊並家から嫁をもらう予定だったと助太夫は話す。

 伊並幾江は泉之助の嫁になる予定だった。泉之助の実の父東兵衛にも会っていた。幾江の兄惣七郎は大目付について事件のことを調べていたが、泉之助を斬ったのは志田ではなく、別の男らしいとわかる。事件当夜普請場に残っていた人夫が、2人の斬り合いの後、別の人間が現れたのを目撃していた。しかしまだ息があった志田のことを見ることなくその場を去った3人目の男の動機がわからなかった。それを聞いた幾江は石凪鱗次郎のことを疑う。

 泉之助の葬儀が行われるが、そこへ赤松が現れ、泉之助の棺桶を暴き、背中の傷を参列者に見せる。そして息子泉之助は志田に斬られたのではない、裏に企みがあると話す。それを見ていた幾江は鱗次郎のことを考える。鱗次郎は兄の幼馴染で幾江も恋心を抱いていた。しかし幾江に縁談が持ち込まれた時鱗次郎は自分がもらうんだったと話し幾江を抱き寄せ口を吸った。幾江は自分を得るために鱗次郎が泉之助を斬ったのではと考えたのだった。

 鱗次郎は剣の腕が立った。そのつながりで袈裟斬りができる他の武士を調べていたが怪しい者はいなかった。そのことを告げに伊並家にきた鱗次郎は幾江から疑われていることを知る。

 惣七郎は赤松に会い、泉之助が志田の不正を疑っていたこと、志田は丹羽と繋がっていることを聞く。惣七郎は大目付にそのことを話す。しかし依然として泉之助を斬ったと思われる凄腕の武士は見つかっていなかった。

 赤松が惨殺される。鱗次郎を伴い惣七郎は現場に赴く。鱗次郎は赤松を斬ったのは泉之助を斬ったのと同一人物だと判断する。惣七郎は大目付に報告、大目付は赤松が訴えていた丹羽、志田の不正を上に知らせたことで赤松が殺されたのではと推理、普請場での目撃者の人夫が斬った男の顔を見ていたという噂を流し罠を張ることに。

 惣七郎は鱗次郎とともに人夫の家で待機する。夜中やってきたのは大関太夫だった。鱗次郎は助太夫を倒す。助太夫は泉之助を斬った理由を話す。

 鱗次郎は幾江を嫁にもらうことを決める。幾江は鱗次郎を疑ったことを謝罪するが、そんな幾江を鱗次郎は抱きしめるのだった。

 

 

桃の木の下で

 鹿間志穂は本家筋の鶴谷家は行くが、親類で幼馴染の亥八郎と話し込み、帰りが遅くなってしまう。幼い頃は亥八郎の嫁になると考えたこともあった志穂だったが、夫麻之助の妻になり2年、亥八郎と会うのも1年ぶりだった。久しぶりにあった亥八郎に志穂はときめきのようなものを感じてしまう。

 町の境で志穂は人が斬られる気配を感じる。そして二人の武士が去っていくのを目撃、その一人が徒目付をしている麻之助の同僚、溝口だった。家に帰った志穂はそのことを麻之助に話すが、口外するなと言われてしまう。

 10日が過ぎ、斬られたのは郡代配下の徳刈だとわかるが、麻之助はまだ調べの最中なので目撃したことは他言無用とだけ志穂に言い渡す。志穂は2日前、墓参りの帰りに大木が倒れてきて危うく死ぬをするところだった。しかもその大木には人の手で加工された後があった。麻之助に話したが拉致があかず、亥八郎の通う道場に会いに行き事情を説明する。亥八郎は調べてみると言ってくれたが、その帰り道志穂は男に襲われる。危機一髪のところに亥八郎が駆けつけなんとか難を逃れる。亥八郎は家に籠るよう志穂に言い、志穂は家に帰る。事情を話すと麻之助もそれに賛同する。

 5日後、志穂の元に亥八郎から手紙が来る。待ち合わせの桃の木の下へ行くとそこで待っていたのは夫麻之助だった。麻之助は志穂の不義を責め斬ろうとする。そこへ亥八郎が現れ麻之助の真の狙いを暴露する。亥八郎は麻之助と斬り合い倒す。そして麻之助や溝口らが郡奉行と組み不正を行っており、百姓の訴えを誤魔化すため徳刈を斬ったのだった。

 亥八郎は志穂に声を掛ける。鹿間家は改易は免れぬ、うちに来るか、それとも俺の嫁になるかと話す。

 

 「三屋清左衛門 あの日の声」のブログにも書いたが、ドラマの原作となったこの2つの短編は、ドラマとは雰囲気が全く異なる話である。

 

 「闇の顔」は70ページほどの短編で、どちらかと言えば、武士を斬った犯人の正体がなかなかわからないミステリー調の話である。その流れは、

 2人の相討ちと思われる → 一方の刀に血の跡がない → 事件の目撃者が現れ第3者が現場にいたことが判明 → 第3者が斬った動機が不明 → 主人公?の女性が自分をめぐって鱗次郎が斬ったと勘違い → 疑いをかけられた鱗次郎が真犯人を探す → それでも犯人がわからないため、罠をかける → 意外な犯人が判明する。

 藤沢周平氏の狙いは、おそらくこの展開の面白さだったと思われ、そこに意外な犯人と主人公の女性の幸せな結末をプラスすることで物語を成立させている。ドラマでは、意外な犯人の動機に重点を置いて、義父の養子である息子への葛藤を描いていたが、原作からすればちょっとピントがズレている気がする。

 

 「桃の木の下で」は35ページほどの短編で、やはり主人公を襲う犯人がわからないちょっとミステリー調の話である。ただこちらは「闇の顔」の半分ほどの長さのためか、主人公が2度襲われた後に、事件はあっさりと解決してしまう。そのため意外な犯人、とは言えない結末を迎える。著者の狙いは、事件そのものよりも、主人公である女性の心の中を細かく描いた点にあるのだろう。冒頭の1年ぶりに亥八郎に会った時、その際亥八郎の縁談相手の悪口を行った時、2度目に襲われた際に助けてくれた亥八郎に抱きしめられた時、そしてラストも。ドラマではこの辺りを全てすっ飛ばし、むしろ原作にはない亥八郎側の想いを映像化してしまっているので、原作とは異なる話になってしまっている。

 

 繰り返しになるが、「三屋清左衛門 あの日の声」のブログにも書いたように、たとえ藤沢周平氏の原作としても、それが「三屋清左衛門」の世界にハマるかどうかは別問題。その辺りに注目して、次の第7作のドラマができるのを楽しみにしよう。