彼岸花

●616 彼岸花 1958

 平山は同級生である友人の娘の結婚式に出席、披露宴の後、同級生たちと酒を飲む。その場で話題となったのは、同じ同級生でありながら式に出席しなかった三上のことだった。その三上が翌日、平山の会社に訪ねてくる。式に出席しなかったのは、家を飛び出してしまった娘のことが気がかりだったためだ。そこへ平山の知り合い、京都の旅館の女将佐々木が訪ねてくる。

 その佐々木の娘幸子が平山の家を訪ねて来て、母が結婚相手のことをうるさく言ってくると愚痴をこぼす。それを聞いた平山はまだ結婚などしなくて良いと答える。後日人間ドッグに入っていた佐々木が平山の家へ。平山の妻清子に娘の結婚のことで同じように愚痴をこぼしていく。

 平山は家族で箱根旅行に行く。清子はいつまで家族揃って旅行に行けるかと話し、戦争時代のことを語る。戦争は嫌だったが、家族が一緒だったのは良かったと話す。

 平山の会社に谷口という男が現れ、平山の娘節子と結婚させて欲しいと話すが、平山は今日は帰ってくれと言って谷口を帰らせる。帰宅した平山は節子を問い詰める。節子は谷口に家へ行き、事前に了解もなくなぜ父に話しをしたのかと話すが、谷口に言いくるめられてしまう。谷口は節子を家に送る。そこで初めて清子は谷口と会い好印象を持つが、平山は節子に家から出ることを禁じる。

 平山は会社で谷口のことを知る近藤を誘いバーへ。そのバーには、三上の娘文子が勤めており、文子のこと、谷口のことを聞き出すことが目的だった。平山は文子をバーから連れ出し、中華屋で話を聞く。文子は父が何も話しを聞いてくれないと愚痴をこぼす。そこへ文子の彼がやって来て一緒に帰って行く。後日、平山は三上からの手紙を文子に渡すために再度バーを訪れる。

 会社にいる平山に佐々木の娘幸子から電話がかかってくる。平山は幸子に会いに行き、幸子から母が決めた縁談を断り、自分が好きな人と結婚する、という話を聞き、賛成し、母親の言葉など聞くことはないと話す。それを聞いた幸子は、今の話はトリックで、節子のことだと話し、節子に電話をして、平山が節子の結婚を認めたと話す。

 帰宅した平山は妻清子から節子が喜んでいること、谷口のことを聞く。さらに清子は平山の態度を非難する。後日ゴルフに行った平山は、友人である河合から清子が河合に節子の仲人を頼んだことを聞くが、自分は式には出ないと河合に話す。

 節子の式前日。家に帰って来た平山は明日の式に出席すると話す。妻清子は節子にそのことを伝える。

 平山はクラス会に出席、三上と娘のことについて話す。そして京都の佐々木の旅館へ。そこで佐々木と幸子と話した平山は、幸子に結婚を勧める。幸子は節子が式の時に平山が笑顔を見せてくれなかったのが心残りだと話していたと話し、広島にいる節子に会いに行くように勧められ、佐々木と幸子は平山の家へ電話をする。平山は一人広島に向かうのだった。

 

 先日、「秋刀魚の味」を観て、小津作品を観たいと思っていたらBSで放送されていたので鑑賞。これまで観た小津作品は、「秋刀魚の味」と「東京物語」の2作品だけで、どちらも小津作品の中でも有名で名作と言われているもの。

 本作は正直観るまで、タイトルも知らなかった一本だったが、上述した2作品よりもわかりやすく自分にとっては良かった。

 昭和30年代が舞台だが、まだまだ父親が娘の自由恋愛を許さない風潮があった時代なのだろう。佐分利信演じる父親の家での態度も家父長制度が生き残っているのが描かれていた。一方、本作で登場する、平山、三上、佐々木の3人の娘たちはいずれも恋愛における親の干渉を嫌っている。それが映画のテーマとなっている。他人の家の娘には気軽に意見する佐分利信が、自分の娘有馬稲子に恋人がいることがわかった瞬間に態度が変わるのが可笑しい。そんな父親が最後には妻の反乱にあう場面も可笑しくもあり、父親の悲しさがうまく表現されている。妻田中絹代が夫のスーツを投げ捨てる場面は思わず笑ってしまった。

 本作も小津監督ならではのコメディシーンが多い。冒頭から登場する京都の旅館の女将浪花千栄子のしゃべりっぷりが最高である。平山の家を訪ねトイレに立った際に逆さまに立てられた箒をすっと元に戻すのも、若い人にはわからないコメディだろう。

 圧巻は「トリック」という言葉。序盤で山本富士子から母親の行動の理由として語られるこの言葉、推理小説での用語だと思っていたが、この時代にはこんな使われ方をしていたのね。ラスト近く、平山の娘のことを自分のことのように話し、平山から同意を得る、このトリックにも笑わずにはいられなかった。

 

 定番のカメラワーク、レギュラーメンバーと言える脇役の俳優、主人公の家や飲み屋や会社の部屋など、使い回しと思えるほど他の作品と同じであることに驚く。しかしこの偉大なるマンネリズムが、同じ松竹、山田洋次監督の男はつらいよを生み出した一因なのかとも思う。

 

 既に60年以上前の作品なのに十分面白かった。ただこの映画のストーリーを現代の役者で現代風に置き換えたところで、面白さは伝わらないだろう。この時代だからこそでえきた傑作であり、それが小津作品の魅力なのだろう。

 もっと小津作品を見たくなった。