新・戻り舟同心 鳶 長谷川卓

●新・戻り舟同心 鳶 長谷川卓

 同心を息子に譲り隠居していた二ツ森伝次郎が奉行所から永尋(ながたずね〜未解決事件)の担当として復帰する。同僚だった染葉、現役時代に使っていた岡っ引き鍋虎と孫の隼などと一緒に事件解決に奔走する。4作品で終わったシリーズが、「新」と銘打って新たにシリーズ化され、その3作目。以下の2章からなる短編集。

 

「鳶」

 前々作「父と子と」で伝次郎と花島の暗殺に失敗した鳶が、復讐を誓い、この世とあの世の「渡し守」をする殺し屋二人を仲間に加え、伝次郎たちの暗殺を試みる。しかし真夏がいち早く一味の一人の存在に気づき、伝次郎たちは塒を張り込む。それでも一味はそれに気づき、お互いの騙し合いが始まる。

 

「犬の暮らし」

 上司である百井から訴訟の始末を頼まれた伝次郎は、その探索のために、犬と呼ばれながらも下働きをしてくれる秀治を使うことにする。秀治はネタを仕入れるために、命を狙われながらも東奔西走する。そんな秀治を正次郎が見かける…(構想覚書 未完)

 

「あとがきにかえて」

 前章「犬の暮らし」の執筆途中で、著者である長谷川卓氏が2020年11月に逝去されたことが前章終わりに書かれている。本章は、長谷川氏の奥さんである佐藤亮子さんが長谷川氏の思い出とともに戻り舟シリーズに関することを語る。

 

 いよいよ戻り舟シリーズ最終作。1話目は、前々作で登場した鳶一味との戦いが再度描かれる。伝次郎たちと一味との頭脳戦も繰り広げられ、伝次郎の仲間たちが活躍する。殺し屋鳶一味が登場する割に少し物足りない感じもするが、病床での執筆ならば仕方ないか。

 2話目は伝次郎たちを影で支える「手の者」の一人、秀治が主役になる話だが、残念ながら未完で終わってしまっている。

 ラストは、逝去した著者に代わり、そばで執筆を支えた奥様の話。伝次郎や正次郎のモデル、そして伊都と正次郎の話(「雪のこし屋橋」の一編「浮世の薬」と思われる)が奥様の一言がきっかけで製作されたなどが語られ、ファンにはたまらないあとがきとなった。

 

 新旧含め7作品となった本シリーズ、著者が逝去されたため、これ以上読めないのは本当に悲しい。いつか映像化されることを期待しつつ、著者が残してくれた他の作品、他のシリーズも読んでいきたいと思う。

 

駒音高く 佐川光晴

●駒音高く 佐川光晴

 将棋に関わる様々な人物に焦点を当てた短編集。以下の7編からなる。

 

「大阪のわたし」

 将棋会館で清掃員として働く女性。あまり人と話をするタイプではなかったが、一度だけ研修会員の少年と話したことはあった。そんな彼女が大阪へ旅行に行く。

 

「初めてのライバル」

 将棋教室で3学年下の児童に負けた少年は雪辱を期すことを誓う。彼が将棋にハマった経緯が描かれ、そして再戦が行われる。

 

「それでも、将棋が好きだ」

 研修会で結果が出ない少年。中学生になってもその状態が続き、降級の可能性も出て来る。父親は少年にしばらく将棋は休むように諭し、少年は涙する。

 

「娘のしあわせ」

 娘が将棋を始めその才能を見せ始め、母親は驚く。先生に誘われ娘は研修会に入ることに。さらに奨励会の試験を受けるまでになり、母親はただ見守るだけだった。

 

光速の寄せ

 奨励会三段リーグに所属する青年が電車である出来事がきっかけで女性と知り合う。女性は就職浪人をしていた。初めてのデートの日、女性は無口だったが、食事の際に自分の置かれている状況を説明し始める。

 

「敗着さん」

 将棋担当の新聞記者がは、対局の鑑賞中の出来事がきっかけで、「敗着さん」と呼ばれるようになってしまう。ある棋戦を観戦していた記者は大盤解説に呼ばれてしまい、その場でもある手を予想し、棋士もその手を指すがそれが敗着の一手となってしまう。

 

「最後の一手」

 長年プロ棋士として活躍しタイトルも取ってきた棋士が病気で倒れてしまう。再発を心配する医師からの勧告でフリークラスの棋士となることを決めたが、ある棋戦で復帰。対局に挑んだ彼は全力で相手と指し勝利するが、それを機に引退することを決意する。

 

 将棋に関する小説本というと、「神の悪手」が印象に残っているが、本作はミステリではなく、将棋の世界を一風変わった視点から小説にしている。将棋会館で働く清掃員、研修会員や奨励会員、そしてその親、将棋担当の新聞記者、ベテランの棋士、など様々な人が主人公となっている。将棋の世界で勝ち抜く者、負けて行く者、の厳しさも描かれるが、それだけではなく、皆が将棋を愛しているというのが共通しているところか。

 はっきりと、しかも残酷な結果が出る世界をテーマにしながら、どの話も希望を持て、心が温まる話を描いているのが素晴らしい。著者の将棋に関する別の本を読んでみたいがなさそうなのが残念。

 

燃える平原児

●533 燃える平原児 1960

 男が二人、夜バートン家に帰ってくる。家の中では帰ってきたクリントの誕生日を祝うために父サム、母ネディや友人たちが待っていた。その中にはクリントの恋人ロズもおり、クリントの弟ペイサーは歌を歌う。パーティが終わり、皆は帰って行く。ハワード家の兄弟も家へ帰るが、家が先住民カイオワ族に襲撃されており、彼らも襲われてしまう。兄ウィルはなんとか逃げ出す。

 その夜、家にカイオワ族の親族長バッファローホーンがやってくて話がしたいと言うが、ペイサーは明るい時間に来いと彼を追い返す。母ネディはカイオワ族の女で父サムと結婚していた。ペイサーはその子供で白人と先住民のハーフだった。

 翌日クリントとペイサーは街で出かけ、ロズの店へ。そこでハワード家が襲われたことを聞く。ペイサーはハーフのため店から追い出される。その夜、家に町の男たちがやってきて、バートン一家が白人側につくのか、先住民側につくのかを尋ねる。サムは自分たちの敵と戦うと話すが、男たちはサムの妻ネディが先住民であることをバカにする。クリントは男の一人を撃つ。彼らは帰って行くが、バートン家の牛を逃す。

 翌日、サムとクリントは牛を探しに行く。家に先住民に襲われたと言う男たちがやってきて飯を食べたいと話す。ネディは彼らを受け入れるが、ペイサーがいない間にネディに言い寄ろうとする。ペイサーは彼らをぶちのめし追い返す。

 翌朝、バッファローホーンがやってきて、ペイサーに仲間になれと話す。それを聞いたネディは、自分が先住民の村に行って、知り合いに頼んでみると話す。ペイサーは母親と先住民の村へ。話し合いをするが、ネディの願いは聞き入れてもらえなかった。村からの帰り道、ネディとペイサーは、逃げていたウィルに間違って襲われてしまう。ネディが負傷、ペイサーがウィルを殺す。

 家に母を連れ戻ったペイサーは、クリントとともに街へ医者を呼びに行くが、住民たちは先住民であることを理由に、医者が行くのを断る。ペイサーは医者の子供を拉致し、強引に医者を家に連れて帰る。それを見ていたロズも一緒に行くことに。

 その頃家では母親ネディが意識を取り戻していた。父サムが目を離した隙に、ネディは家を出て山へ向かって歩いて行く。サムが気付いた時にはネディは平原に倒れていた。

 ネディを埋葬する。父を墓の前に残し、家に戻ったペイサーは医者に向かって、来るのが遅れたから母が死んだと言い、医者を襲おうとする。クリントはペイサーを止める。ペイサーは家を出て、バッファローホーンとともに戦うと宣言、家を出て行く。出て行くペイサーを父サムは止めずに、自慢の息子だと語る。

 先住民の村に行ったペイサーはバッファローホーンと話をし、仲間になると伝える。しかし家族とは戦わないと話し、バッファローホーンもバートン家の人間は襲わないと誓う。

 クリントはロズをついて街へ。ロズを送り届けるが、また新たな一家が先住民に襲われたことを聞き、嫌味を言われる。その頃サムは一人で牛の放牧をしていたが、若い先住民たちに襲われ死んでしまう。クリントは父の姿を発見、母の隣に墓を作る。クリントは先住民たちを見かけ、一人で戦いを仕掛ける。負傷したクリントをペイサーが助け匿う。先住民たちをうまく巻いたペイサーはクリントを家に連れて帰る。そこで父サムが死んだことを聞かされる。ペイサーは負傷したクリントを馬に乗せ、ロズに家に向かわせ、自分は一人で先住民たちと戦うことに。

 ロズの家で目覚めたクリントは、街にペイサーが帰ってきたと聞き、彼の元へ。ペイサーは先住民との戦いで負傷し死を迎えようとしていた。彼は両親の眠る丘で死ぬと言い残し街から去って行く。

 

 プレスリーの映画は初めて。序盤の家の中での歌唱シーンで、スター歌手にありがちなアイドル映画かな、と思って観ていたが、これが大間違い。同じ序盤の楽しげな誕生日パーティの最中に、白人とそうでない人種との差別がさりげなく描かれ始める。

 話が進むに連れ、プレスリーが白人の父と先住民の母との間にできたハーフであり、白人たちからは敵扱いされているのがわかって来る。それに耐えていたプレスリーだったが、終盤母が治療もしてもらえず死んでしまったことで怒りを爆発させる。人種問題を真っ向からとらえたシーンであり、アイドル映画とは全く言えない映画だった。

 

 「折れた矢」が1950年の製作で先住民側から描いた一本であり、本作は1960年製作でその手のテーマとしては必ずしも早い段階ではないが、白人と先住民のハーフの主人公という難しい役柄を演じたプレスリーは評価して良いのでは。ただwikiによると、プレスリーの映画はあまり評価されていなかったようだ。

 

 

ストラング先生の謎解き講義 ウィリアム・ブリテン

●ストラング先生の謎解き講義 ウィリアム・ブリテン

 オルダーショット高校の教師ストラングは、一般科学担当で既に35年以上教師をしている。彼は素人ながら探偵としての才能があり、ガスリー校長やロバーツ刑事から持ち込まれる事件を次々と解決していく。14編からなる短編集。

 

 これもなぜかAmazonからオススメされた一冊。正直最初の2編を読んで、あまり面白くなかったので、途中で読むのを止めようかとも思ったが、読み進めていくうちに完全にハマってしまった(笑 なぜだろう?

 一つは1話1話の短さ。30ページを超えるものはなく、展開もパターン化されている。事件が起き、ストラング先生に依頼がきて、彼がちょっとしたことから、事件の真相に気づく、という展開。半分以上の話が、彼の勤める学校の生徒が容疑者となっているのも見逃せないか。先生は生徒を信じ、彼らが犯行を犯したはずがないと探偵役を買って出ることが多い。その他にも、友人?ロバーツ刑事からの依頼や先生自身が容疑者になり、その身の潔白を明かすために推理することもあるが。

 読み進めるとハマるもう一つの理由は、先生のキャラはもちろん、周りの登場人物たちのキャラが立っていること。ちょっと偏屈で汚い言葉で文句ばかり言うストラングも魅力的だし、先生の推理力を信じている刑事や、なんだかんだ言ってストラングを頼りにしている校長も良い。

 3話目の「〜グラスを盗む」や4話目の「〜消えた凶器」は、読んでいて結末が予想できた。しかし、すべての話が、ワンアイデアのトリックであり、容疑者も限定されているので、犯人やトリックを見抜くことがこのシリーズの楽しみではないのは、わかってくる。やはり、ストラングが、いかに犯行トリックに気づくかがポイント。

 トリックも「〜先生の逮捕」を除けば、小難しいものはでてこない。私のお気に入りは、「〜証拠のかけらを拾う」と「〜爆弾魔」と「〜ハンバーガーを買う」かな。「〜証拠の〜」は見事なトリックだし、「〜爆弾魔」は推理がキチンと成立している。「〜ハンバーガー〜」は、突然事件が発生して読んでいて驚くが、伏線がキチンと書かれていたことに驚かされる。

 

 1970年代前後に雑誌に1話ごと掲載されていたものを、2010年になって日本でだけ14編をまとめた本書が発行されたようだ。40年ぶりの発行を喜んだ人が多かったのもわかる一冊。先生の短編はまだまだあるようだ。その他の話も単行本化されれば良いのに。

 

 

アラベスク

●532 アラベスク 1966

 ラギーブ教授は眼科へ行くが、担当の先生がおらず、スローンと名乗る男に診察される。目薬を点眼されると教授は苦しみ死んでしまう。スローンは博士のメガネに隠されていた古代文字で書かれた暗号のメモを奪う。

 ポロック教授はスローンの訪問を受け、海運王ベシュラビが教授を招待したいと言っていると言われるが、誘いを断る。ポロックはジュギング中に車に拉致され抵抗するが、中にいたのは中東の某国のイエナ首相だった。ポロックは彼を崇拝していた。イエナはポロックに、ベシュラビは某国の湯力者であり、政府へのテロを計画しており、ポロックに協力を求めてくるので、内容を知らせて欲しいと頼み、ポロックは了解する。

 ポロックは改めてベシュラビの屋敷で彼に会い、古代文字の解読を依頼される。解読するまでは彼の屋敷に監禁される。屋敷でベシュラビの女ヤスミンと出会う。夕食時に彼女から部屋に来るようにというメモを渡されたポロックは彼女の部屋へ。彼女からラギーブ教授は殺された、この件に関わらないようにと言われる。ポロックは暗号のメモをチョコレートの包み紙に隠す。話をしているうちに、ポロックがいなくなったことで屋敷内が騒ぎになる。ポロックはヤスミンを人質に屋敷から逃げ出す。二人は夜の動物園に逃げるが、ベシュラビの追っ手に追われ絶体絶命に。しかし男が助けに入る。男はウェブスターと名乗りヤスミンの仲間だと話す。

 ウェブスターに連れられ、ポロックはやはりヤスミンの仲間だというユセフの車へ。そこで古代文字で書かれた暗号のメモのことを聞かれるがとぼける。ユセフはポロックに薬をうち白状させようとするが、ポロックは喋らなかった。彼らはポロックを道路へ放り出される。

 ヤスミンはベシュラビの家に戻り、暗号メモのありかについて彼と話す。ベシュラビはもう一度ポロックに近づき彼からメモを奪うように話す。

 ポロックはなんとか自力で家に戻る。そこへヤスミンがやって来る。ヤスミンはベシュラビともユセフとも仲間ではなく、家族を出しに脅され協力しているだけだと話す。ポロックはヤスミンに協力することに。メモが重要だったが、ポロックは持っていなかった。ユセフの車で奪われたが、彼らはそれがメモだと気づいていないと考えた二人は車へ。そこにはチョコの袋が置き去りにされていたが、ウェブスターがそれを持って行ってしまう。二人は彼の後をつける。しかしウェブスターがメモに気づいてしまい、公衆電話で電話をする。二人は彼の残したメモから競馬場へ向かう。

 競馬場でウェブスターがメモをベシュラビの部下へ渡すのを妨害、ポロックはメモを手に入れコピーし、オリジナルを自分の家へ郵送する。ポロックはラギーブ教授の妻に会いに行き話をする。妻はヤスミンの話したことは嘘だといい、テロを目論む将軍の娘だと話す。

 ポロックはヤスミンと会うが、メモについては嘘を伝える。ヤスミンはそれを聞いてどこかへ電話をし、ポロックと別れる。彼はヤスミンの後をつける。彼女はユセフのいる隠れ家へ行くが、ユセフは彼女を殺そうとする。ポロックは彼女を助け、教授の妻に会ったことを告げると、教授の妻はユセフの仲間だとヤスミンは言い、だから私が裏切ったことがバレて殺されそうになったのだと話す。

 ポロックはヤスミンのことを信じる。そして暗号が無意味で、重要なのはメモそのものだと気づく。メモにはマイクロチップが隠されていたのだった。そこには首相暗殺の日時が示されていた。二人は英国に来日した首相のもとへ。記者会見をする首相のところへ強引に押し入り、射殺されるのを助ける。しかし大使が首相を殺してしまう。ヤスミンは殺されたのは首相の偽物で、本物はどこかにいると話し、ベシュラビたちを追い、本物の首相を助け出す。ベシュラビたちは偽物に、条約を結ばないことを宣言させるのが目的だった。首相を助け出した二人はベシュラビたちに追われ逃げる。

 ヘリコプターで追われ絶体絶命に陥るが、ポロックの機転でヘリコプターを墜落させ二人は助かる。

 

 冒頭からサスペンス感たっぷりのオープニング。出てくる人間は皆怪しい雰囲気のヤツらばかりだし。期待して観たのだが。ネットでは、「007シリーズっぽい」という評価があったが、自分には赤ジャケルパン三世シリーズを彷彿とさせた感じがする。

 女性を初め、誰が誰の味方かわからない、場面があちこちへ飛びまくる、意外に簡単に人が殺される割に悪者たちの詰めが甘すぎる(笑 、そして謎の暗号メモ。ルパン三世の方がこの映画に影響されたんだろう。

 別の見方をすれば、いかにも絵になりそうな夜の動物園、オシャレな競馬場、工場でのクレーンによるアクション、などは「シャレードのような」一本を狙ったのがわかる。ただ「シャレード」に比べると話がごちゃごちゃしすぎ、かな。ラストの偽物の首相、というのはインパクトがあったので、あそこで話を終わりにすればまだ良かったのに、そのあとのヘリとのアクションシーンは冗長だったと思う。

 まぁグレゴリーペックとソフィアローレンが観れたので、良しとしよう。

 

 

11人のカウボーイ

●531 11人のカウボーイ 1971

 男たちが牧場へやって来る。牧場には荒馬を調教しているウィルがいた。ウィルは1500頭の牛をベルフーシュの街へ売りにいく予定で、男たちを雇うつもりだったが、男たちは川での金探しに行くと言い出す。ウィルは彼らと決別。

 同行する者を探すウィルだったが、あてにしていた友人たちは全て事情がありダメだった。友人のアンスは子供たちを使うことを提案。ウィルはアンスとともに学校に見学に行くが、そこにいたのはまだ幼い子供ばかりだった。しかし翌朝アンスに言われた子供たちが早朝ウィルの家を訪ねる。ウィルは諦めさせるために荒馬に乗れたら考えると伝えると、子供たちは荒馬を次々と乗りこなしていく。自分の子供を亡くしているウィルは学校へ行き、子供たちを雇うことを宣言する。

 夏休みになりウィルは子供たちを訓練する。学校では見かけなかったシマロンという子供も参加しようとするが、彼は子供たちの中の年長者スリムと喧嘩をしてしまったため、ウィルは彼に出て行けと怒鳴る。

 訓練中、ワッツと名乗る男がウィルに雇って欲しいと言って来る。しかし彼はウィルに嘘の経歴を話しそれがバレてしまい、嘘を嫌うウィルに断られる。

 牛を運ぶ旅には料理人が必要でウィルは白人コックを雇うつもりだったが、彼の代わりに黒人コックのナイトリンガーが現れる。白人の代わりに来たという彼をウィルは雇うことに。

 子供たちの両親たちに見送られ牛運びの旅が始まる。シマロンが一行のあとをつけて来るがウィルは気にしなかった。ある時川を渡る際にスリムが川に流されてしまう。シマロンはそれを助け、ウィルはシマロンも一行に加える。

 厳しい旅をなんとか子供たちは乗り越えていく。途中、はぐれた馬を追った子供が、密かに一行の後をつけていたワッツ一味に捕まる。ワッツは子供に自分たちのことを話さないようにと脅し帰らせる。ウィルたちはワッツ一味が後を追って来ているのに気づく。子供が事実を告白する。その夜、ワッツ一味がウィルたちを襲う。ウィルたちの銃を積んだナイトリンガーの馬車は故障したため、同行していなかった。

 ウィルはワッツに毅然とした態度で臨み、殴り倒す。怒ったワッツは拳銃でウィルを撃ち殺し牛を奪っていく。遅れていたナイトリンガーはウィルから子供たちのことを託される。皆でウィルを埋葬する。子供たちはナイトリンガーの隙をみて彼を縛り上げ、銃を確保し、ワッツたちへの復讐を誓う。ナイトリンガーも彼らに手助けする。

 牛を見つけた子供たちは、一味を一人ずつ倒して行き、最後にワッツ一味の残党と銃撃戦となり、一味を全滅させる。牛をベルフーシュの街まで届けた子供たちは、ウィルの墓標を買い求める。そして自分たちの街へ帰っていく。

 

 ジョンウェインの映画もこれで20本目。ウェインの晩年の作。晩年の作では、古き良き時代の西部劇とは異なる設定が多い。強い女性がウェインとともに戦う作品もあったが、本作は異例中の異例、ティーン、しかも15歳以下の子供たちが主役と言える一本。

 さらに終盤でウェインが悪者にあっけなく銃殺されてしまうというショッキングなシーンもある。ちょっと「グラン・トリノ」を思い出してしまった。追って来たワッツ一味を前にしたウェインが、子供たちに教えた通りに、と話すシーンがあるが、昼間ワッツ一味の存在を知った段階で、子供達には抵抗しないように話してあった、というのがわかる。それでも最後にワッツをぶちのめすシーンはカッコ良かった。

 学校で背の高さを参加の条件にしたシーンのユーモアや、子供たちが酒を飲むシーンや女性だけの旅の一行とのやりとりなど、クスッと笑える場面もある。

 ウェインも晩年は次の世代へ西部劇を託す思いが強かったんだろうと感じさせてくれる一本。晩年の哀愁を漂わせる老人を演じたウェインも良いが、本作のようなウェインも良い。若い頃の作品を除けば、ウェインのベストの一本と言える。

 

 蛇足。映画の音楽が「あの」ジョン・ウィリアムズでビックリ。冒頭の曲のノリが良いとは思ったが。約50年前のこんな映画から既に音楽を作っていたなんてと感動していたら、wikiによると活動開始はこの映画のさらに10年前、1961年からだそうで。さらにビックリ。

 

われ敗れたり 米長邦雄

●われ敗れたり 米長邦雄

 2012年にコンピュータと将棋の対局をした、当時の将棋連盟会長米長邦雄の自戦記を含めた一冊。先日読んだ「阿川佐和子のこの棋士に会いたい」の中で触れられていたので早速読んでみた。

 米長氏がコンピュータと戦うことになった経緯から、対局当日、仲間のプロ棋士たちを含めた対局後の記者会見まで、と自戦記が書かれている。非常に興味深い内容で、今回この本で初めて知ったことも多かった。

 

 まず、正直、阿川さんの本の100倍面白かった(笑 将棋については、羽生さんが7冠だった時期から、今で言う「観る将」をしていたので、コンピュータ将棋(以下、AI)と人間との戦いについても、2007年のAI(ボナンザ)対渡辺を特集したNHKの番組は今でもレコーダに残っているぐらい。

 

 と言うことで、感想をいくつか。

 米長氏が対局相手のとなった理由について。当時から2010年代の半ばに、プロ棋士がAIに負けてしまうまでの間、「観る将」としては、いつ羽生さんが出て来るのかとずっと思っていた。しかしもし羽生さんが出てきて、AIに負けることがあればそれは人間側の完全敗北を表すから、ないのかなぁとも思っていた。この本によれば、会長であった米長氏はAIとの対局料として、羽生さんの場合に7億円と提示していたそうだ。一見、羽生さんを戦いの舞台に出さないために吹っかけているだけと思われる金額だが、この本を読むとその額に納得がいく。

 

 6二玉について。この手は随分と話題になったが、それをアドバイスしたのが、ボナンザ開発者保木さんだったとは知らなかった。しかも保木さんはそれを後悔しているとか(笑 なんだそりゃ。しかしこの本でよくわかったのは、当時人間側は、AIの将棋は人間同士の将棋とは異なるもので、そこにAIの弱点があると考えていたこと。羽生さんの対局料7億円もそこに起因している。現在のAIの強さからはちょっと考えられないことだが、当時のAIはまだそのレベルだったのだろう。

 

 米長氏の敗因について。氏は敗因を80手目の6六同歩だと書かれている。代わりの手順も示し、この手を指していれば押し切れたはずだ、とも書いている。しかし実は最終章でAIソフト開発者の一人が、その代わりの手順に対するAIの指し手を示している。この指し手についても、氏の考えを聞いてみたかった。

 

 最後に。元ではあるがプロ棋士、しかも名人経験者がAIに敗れた、記憶に残る対局をご本人がその準備段階から全てを振り返り書かれているのだから、これは本当に貴重な一冊。本でも書かれているように、対局後ネットで観戦していたファンからの書き込みが米長推しだったことからも、この本を書くことで米長氏は対局には負けたが、勝負には勝った、と言っても良いと思う。

 ただ一点残念なのは、対局当日の昼休みのあるアクシデントについてこの本に書いてしまったこと。このアクシデントが氏の感情に影響したことは間違いないのだろうが、米長氏らしく、ここは本には書かないで欲しかった。これさえなければ、米長邦雄の最後の完勝譜となったであろうに。