天地明察

●537 天地明察 2012

 安井算哲は和算が好きな囲碁打ち。和算好きがきっかけで塾の長の妹えんと出会う。将軍の前での囲碁を真剣勝負で行ったことにより会津藩主から叱られ、北極出地を命じられる。1年かかる北極出地だが待っていて欲しいとえんに伝え、算哲は出発する。道中、先輩たちから天体観測の面白さを教えられ算哲はその世界に魅せられていく。

 旅の途中、先輩の死もあったが、算哲は遺志を引き継ぐことを決意。予定より半年遅れで江戸に戻った算哲はえんが結婚したことを聞く。そして会津藩主に改暦の責任者を命じられる。観測所に仲間を集め、中国の暦など3つの暦の制度を確かめつつ、天体観測をする算哲。授時暦が精度が高いことがわかり、これを推挙してもらうが、朝廷から却下されてしまう。算哲は授時暦の良さをわかってもらうために、3つの暦による予測勝負を行う。5番目までの予測で授時暦は正解を出し続けるが、観測所が何者かに襲われてしまう。仲間を失い落ち込み算哲だったが、最後の6番目の勝負に挑む。しかし蝕が出て予測を外してしまう。

 予測勝負を外してしまったことで、観測所は閉鎖。会津藩主も死去してしまう。落ち込む算哲は和算の神、関孝和と会うことに。彼から授時暦の欠点を指摘され叱責されるが、彼のこれまでの成果をもらう。嫁ぎ先から離縁されたえんとも再会、結婚をすることに。

 算哲は観測などを続けるが、またも蝕の予測を外し、自暴自棄になってしまう。そんな彼をえんや囲碁仲間が励ます。算哲は奮起し、光圀に外国の資料などを取り寄せてもらうことに。そして中国と日本とに時差があることに気づき、授時暦に手を知れ、大和暦を完成させる。しかしこれも朝廷に拒否をされてしまう。算哲は光圀に直訴、命をかけて勝負することを誓い、京都の街へ。そこで再度予測勝負を行い、見事に蝕を的中させ大和暦への改暦が認められる。

 

 江戸時代の天文学和算、上覧碁が描かれる珍しい作品。和算の絵馬は何度か目にしたことがあるぐらい。碁ではなく将棋に興味があるので、江戸時代の棋士が将軍の前で対局をしていたのは知っていたが。

 140分の長尺だが、あまりそれを感じさせないぐらいテンポが良い。北極出地まで30分、旅から戻って30分、最初の予測勝負で30分、時差に気づくまでで30分、そしてラストの勝負で20分。登場人物も多彩で飽きさせないのも良かったか。囲碁シーンを切れば2時間を切るぐらいにはなったのだろうが、囲碁は予測勝負への布石となっているので、切ることもできなかったか。

 時間の流れ(映画の中で25年が過ぎていく)がわかりずらかった点や、素人のような俳優陣(ジャニーズ、プロレスラー)が出演していた点など不満もあるが、小難しい学問の話をエンターテイメントに仕上げていることで帳消しでしょう。

 蛇足。鑑賞後ネットを観ていて気づいたが、ラストの吉岡里帆はやはり再度確認してしまった。ピンクの着物が目立っており、宮崎あおいと同じ画面には入れられないぐらい目立っていた(笑

 

ジョン・ディクスン・カーを読んだ男 ウィリアム・ブリテン

●ジョン・ディクスン・カーを読んだ男 ウィリアム・ブリテン

 ブリテンの「〜を読んだ〜」シリーズ11編とおまけの3編を含む短編集。有名推理小説作家のパロディとも言えるシリーズ。収録作は以下の通り。

 

ジョン・ディクスン・カーを読んだ男

エラリー・クイーンを読んだ男

レックス・スタウトを読んだ女

アガサ・クリスティを読んだ少年

コナン・ドイルを読んだ男

G.K.チェスタトンを読んだ男

ダシール・ハメットを読んだ男

ジョルジュ・シムノンを読んだ男

ジョン・クリーシーを読んだ少女

アイザック・アシモフを読んだ男たち

読まなかった男

ザレツキーの鎖

うそつき

プラット街イレギュラーズ

 

 「ストラング先生の謎解き講義」が面白かったので、同じブリテンのもう一つのシリーズを読んでみた。

 小学生の頃に夢中になって読んだ、世界推理小説全集にあったような有名な推理小説作家が目白押し。もちろん全ての作家の小説を覚えていないが、クリスティ、ドイル、アシモフなどは覚えているので、そのパロディぶりに感激した。それでいて、長くても20ページに届かない程度の短編であり、作家の文体を覚えていなくても読み応えは十分。おまけの3作品も単体の推理小説としておもしろい。

 特に面白かったのは、「クリスティ〜」。独特の不思議なことが起きている実情を見事に推理してみせる。「アシモフ〜」は大ファンである黒後家蜘蛛の会の完璧なパロディ。おまけの部分では、「うそつき」。嘘発見器をトリックに『使おうとした』犯行の手口は見たことも聞いたこともない。

 だが、インパクトという意味では、短編集冒頭の「ディクスンカー〜」かな。こんなオチの推理小説は二度と現れないだろう(笑

 

下郎の月 大江戸定年組 風野真知雄

●下郎の月 大江戸定年組 風野真知雄

 大江戸定年組シリーズの第4作。町方同心の藤村慎三郎、三千五百石の旗本夏木忠継、町人の七福仁佐衛門はそれぞれ隠居をし、息子に家督を譲った。仲の良い3人は景色の良い家を探し、そこを「初秋亭」と名付け、隠れ家とすることに。しかしただ景色を観ているだけでは飽き足らず、様々な厄介事を解決するために奔走し始める。以下の5編からなる。

 

「下郎の月」

 黒沢道場で町人だが、相手の金的を狙うことで強い男が噂になる。その男八百屋の三右衛門の妻が初秋亭に来て、亭主の復讐をやめさせて欲しいと願う。三右衛門はかつて追い剥ぎに会い、強くなるために依田銀斎の道場に行ったが門前払いを食らってしまい、依田に股を蹴られて以来、復讐を誓っているそうだった。

 藤村たちは三右衛門に復讐をやめるように説得に行くが、彼は聞かなかった。その後評判の悪い依田が暴れていると知らせが入り、藤村たちは見に行くがそこに現れたのは三右衛門だった。彼は依田を得意の技で倒してしまう。


「幸運の戌」

 息子が商売を失敗した仁左衛門の家に幼馴染の連二が訪ねてくる。懐かしむ仁左衛門だったが、彼が帰った後に煙草を吸い倒れてしまう。医者から煙草を辞めるように言われる。

 初秋亭に三人の俳句仲間の草楽が訪ねて来て、黄一作の戌の根付を譲ってくれと迫られているが、断って欲しいと頼まれる。相手は但馬屋周右衛門だった。藤村たちは周右衛門に話に行き彼も受け入れる。しかし草楽は頼まれて周右衛門に根付を貸してしまう。その後、周右衛門の家に泥棒が入り、根付が盗まれたと言ってくるが、藤村たちはそれを怪しむ。

 仁左衛門が連二に会いに行き、彼の兄が黄一だとわかり、黄一に協力してもらい周右衛門を罠にはめることに。

 

「水景の罠」

 藤村は初秋亭の隣の番屋で息子康四郎が男に冷たく対応しているのを見る。その後、その男に会った藤村は男の話を聞く。婆さんしかいない水茶屋が流行っている理由を知りたいとのことだった。店を見張っていた藤村は客に腕っぷしの強そうな男たちが多いことに気づく。藤村は事情を鮫蔵に話し一緒に店へ。鮫蔵は男たちの中に海賊がいることを見つける。彼らの狙いは賭場の上がり金だった。奉行所の協力も得て、彼らは海賊たちを捕まえることに。

 

「南瓜の罪」

 句会の日、海辺で仁左衛門が死体を発見する。そばにはなぜかかぼちゃが落ちていた。康四郎が死体の身元を調べるうちに、女を騙す詐欺師だったことが判明する。いくつもの偽名を使い寂しい女たちを騙していたのだった。

 初秋亭に八百屋の平吉が、事件以来かぼちゃが売れずに困っていると相談しにくる。藤村は鮫蔵と会い話をしている時に、最近奇妙な殺され方をした人間が何人かいることを聞く。それは例のげむげむと関係があるとのことだった。

 康四郎は聞き込みから、髪結いのおはまを訪ねる。そこで彼女から海辺で殺された男は自分の浮気相手で、殺したのは夫の熊三だと聞く。熊三はげむげむの教えでかぼちゃで男を殺すように言われたらしかった。

 男は寺男だったが、ある時人生に無情を感じ、女を騙すようになったことがわかる。

 鮫蔵は熊三を見つけるが、彼はげむげむを唱え橋から身を投げて死んでしまう。


「仙人の芸」

 初秋亭に山城屋の手代又吉がやって来て、店の若旦那の下手な義太夫をやめさせて欲しいと頼んでくる。又吉によると、大江戸仙人組という集団が若旦那を調子づかせているとのこと。彼らはやはり義太夫に凝って店を潰した若旦那たちだった。藤村たちは仙人組を調べるが、その中に若旦那風ではない怪しい男がいることに気づく。さらに仙人組が山城屋のライバルの店に話を持ちかけ金を得ていることを知り、彼らを咎める。

 若旦那も納得するが、義太夫の会を最後に開くことに。大勢の人が集まったため、店の二階が崩落してしまう。藤村はその現場で例の怪しい男を見かける。藤村は怪しい男の狙いに気づく。彼は山城屋に以前入った泥棒で床下に落し物をしてしまったため、それを取り戻すために今回のことを仕組んだのだった。

 仁左衛門の子供が生まれたと知らせが入り三人は喜ぶが、藤村は家に帰り、妻加代が家を出て行ったことを知ることになる。

 

 前作仁左衛門の店が潰れたところで終わっており、その話からスタートかと思いきや、金的狙いの町人剣術士の話題から始まり、ちょっと肩透かし。

 5編の話の中心はそれぞれの事件だが、サブエピソードとして、上記の仁左衛門の店の倒産?と息子夫婦の暮らしの変化が描かれる。さらに、シリーズ最初から登場していた俳句の師匠入江かな女と藤村との恋の話に、前作でも触れられていた藤村の息子まで絡んで進展をみせる。

 本題である事件の方は、「金的狙いの剣術」「幻の根付盗難騒動」「老婆の水茶屋賑わいの秘密」「かぼちゃで殺された男」「下手な義太夫騒ぎ」がテーマ。前作が「日常の謎系」だったのに対し、本作はその方面からは外れ、いかにも江戸時代の話っぽいものが増えた。シリーズはこの方向で進むのかしら?

 これまたシリーズ最初からその影がチラチラ見え隠れする、怪しい宗教「げむげむ」が主役の話も出て来た。これがシリーズの大テーマを担っていくのだろう。

 最後は、藤村の妻が家を出て行く、というまたもや次回作を読まずにはいられない展開を見せて終わる。その伏線は、様々な形で現れており、「寂しい女」が本作の隠れテーマだったか。

 何れにしても次回作も読まずにはいられない(笑

 

折れた槍

●536 折れた槍 1954

 州刑務所からジョーが3年の刑期を終え出所してくる。彼を待っていた男がデブローを州知事の元へ連れていく。ジョーは州知事から娘バーバラはまだ独身だと告げられ、兄弟たちと引き合わせられる。兄弟たちは、ジョーが服役している間に牧場経営は多角化した、母は部族に帰った、新天地オレゴンで暮らせ、金は出すと言われるが断る。ジョーは実家に行くがそこはさびれていた。ジョーは3年前のことを思い出す。

 父と兄弟四人で牧場をしていたマット家、ジョーは末っ子で、兄たちと異なり、先住民の母の子だった。ある日、牧場の牛が盗まれる。父と共に牛泥棒を探すが、それは兄二人マイクとデニーだった。二人は安い給料で働かされていることに不満だった。父は二人を勘当しようとする。

 その夜マット家に客が来る。州知事とその娘バーバラや友人だった。その場には勘当されたはずの兄弟もいた。ジョーはバーバラと仲良くなる。

 牧場の牛たちが40頭死ぬ事件が発生する。原因は川の水だった。上流にある工場の廃液が理由だと考えた父と兄弟は精練所へ。責任者と言い争いになり一触即発の状態に。工場の従業員も彼らを襲おうとするが、そこへ牧場の仲間たちがやってきて応戦、彼らは工場を焼き払う。法に訴えられた時のことを考え、父はジョーを弁護士のところへ行かせる。ジョーはそこでバーバラと再会、仲を深める。

 父は知事に呼び出され、工場の会社が訴えると言っていることを聞く。父は知事に味方になってくれるように頼むが、知事は良い顔をしなかった。これまでと違う対応の理由を知事に問いただすと、知事は娘バーバラはジョーにやるわけにはいかないと話す。これまで知事に協力してきた父は、先住民の子であることを理由に知事が娘との仲を反対していることに激怒する。一方、ジョーはバーバラと完全に愛し合うようになる。

 裁判が行われることとなり、父は土地を会社側に差し出すことになるが、その前に土地を息子たちに譲渡しておくことに。裁判が始まるが、マット家は不利な状態に。審議休憩中に、父は鉱山の譲渡、賠償金の支払いを促され、さらに誰かが責任を取るために、ジョーを銃を抜いたことを理由に有罪とするように、服役しても短期間だ、と言われる。父は反対するが、そうしないと父親自身がムショに入ることになると言われてしまう。

 裁判が終わり、父は土地を売りジョーを釈放してもらうために兄弟たちにサインをしろと命令するが、長男ベンは拒否する。父は激怒し鞭を振るうが興奮のため倒れてしまう。結果的にジョーは3年の刑に。服役していたジョーは面会に来たバーバラに冷たく対応する。ベンたちは石油会社に土地を売ることに。それを知った父は売らないように命じるが、ベンたちは聞かなかった。父は契約をする兄弟を止めようと重症の体で馬に乗り街へ向かうが途中で死んでしまう。

 ジョーの回想は終わる。実家に母親がやって来て、ジョーに兄たちへの復讐をやめるように話す。ジョーは拳銃を渡す。家を出たジョーをベンが待ち構えていた。ベンはジョーを殺そうとするが、ジョーは逃げる。乱闘となりそれでもジョーは逃げるが、ベンはライフルでジョーを殺そうとする。その時牧場の使用人だった男がベンを撃ち殺す。

 ジョーはバーバラと共に父の墓に行き、そこにあった復讐の槍を折って新天地へ去って行く。

 

 先日「燃える平原児」を観たばかりで、またも白人と先住民とのハーフの子が主人公の話。「燃える〜」は主人公が差別と戦う話だったが、こちらは家族間での争いがメイン。厳しいと父とそれに耐えて来たが父を憎む長男。映画の主人公は末っ子なのだろうが、トレイシーとウィドマークの二人に主役を食われた感じか。

 短い尺の映画だったが、謎めいた冒頭から回想シーンに入りまた元の時へ戻る、という筋書きはこのころの映画では珍しいかも。時代設定も、開拓時代というよりは、工場など会社が出て来ることから西部時代の末期なのか。自分たちの力で問題を解決してきた父の世代と、息子でありながら使用人のように使われたことに反発する長男の世代の世代交代のような感じも受ける。

 なかなか見ごたえのあるストーリーだったが、ちょっとだけ不満な点も。

 冒頭牛泥棒が兄弟の二人の仕業とわかり父が勘当をするが、その直後にその二人は家にいる。確かに父はそのことに怒っているように見えるが、あっさりと見逃してしまうように見える。後半の強権的な父の態度とちょっと辻褄が合わないように思うが。

 もう一つ。ジョーが罪をかぶることになるが、当初の話では短期間で出所できるはずだったのが、3年の刑期となってしまう。おそらく裁判直後のシーンの土地の売買に関すること(ベンがサインしなかったこと)が影響していると思われるが、そのあたりの描写がないので不親切かも。さらに、ジョーの服役中に父が死亡するが、その葬式になぜかジョーがいる。タイトルにも関係する槍が葬式で登場するので仕方ないのだろうが、ここも説明が必要では?ひょっとして当時〜開拓時代〜は親族の葬式には服役中でも参列できたのかしら。

 何れにしても、「折れた矢」や「燃える平原児」など、1950年代から先住民をただの悪者として描かず、先住民と共に暮らそうとした人々を描いた西部劇がこれほどあったとは。

 

 

 

友だちのうちはどこ?

●535 友だちのうちはどこ? 1987

 小学校の教室。教師がやってきて生徒たちの宿題を確認し始めるが、アハマッドの隣に座っていたネマツァデはノートを従兄弟の家に忘れたため、紙に宿題を書いてきた。同じクラスにいるポシュテから来ている従兄弟がそれを認めたが、ネマツァデが同様の間違いを3回起こしたことを教師は怒る。そして次同じことをしたら退学処分にする、とネマツァデに宣言する。

 その日ネマツァデと一緒に帰ってきたアハマッドだったが、間違えてネマツァデのノートを持ち帰ってきてしまっていたことに気づく。母親に事情を説明しノートを返しに行こうとするが、母親は彼の言うことを聞かず、宿題を先にしろと命じ、家事の手伝いや赤ん坊の面倒を見させる。仕方なくアハマッドは母親の目を盗み、ノートを返しにポシュテに向かう。祖父がそれを見ていた。

 人々に聞きながらポシュテの街にたどり着いたが、アハマッドはネマツァデの家がわからない。なんとかネマツァデの従兄弟の家の場所を聞くことに成功し、従兄弟に家にたどり着くが、彼は留守でコケルに行ったと聞かされる。コケルはアハマッドの住む街だった。彼はコケルに戻る。そこで祖父から事情を聞かれ、家からタバコを持ってくるように命じられる。アハマッドが戻るとそこでは玄関のドアを売り物にしている男が会話をしていた。男の名字がネマツァデだと知ったアハマッドは男の後をつける。男の家までたどり着くが、そこに同級生はいなかった。そこの家の少年から、手がかりとなる家の目印を教えてもらう。

 その手がかりを探すアハマッドは、日が暮れた後に老人と出会う。老人がネマツァデを知っていると言うので彼についていくが、そこは玄関のドアを売り物にしている男の家だった。アハマッドは老人と別れ、家に帰る。アハマッドは母親が夕飯を勧めるがそれを断り、宿題を始める。

 翌日、学校の教室。アハマッドは遅刻しておりいなかった。ネマツァデはノートがないため落ち着かない。教師が宿題の確認を始めた後、アハマッドが遅刻してくる。彼はネマツァデの分も宿題をやってあると話し、彼にノートを手渡す。教師の確認も無事に済み、事なきを得る。

 

 イランの映画は初めて観た。冒頭の母親、中盤の祖父と玄関のドアを売り物にしている男、終盤の老人、と出てくる大人たちは主人公の話を聞こうとしない。観ているうちにそんな大人たちの態度に腹が立ってくるが、35年前のイランでは、これが普通だったのかもしれない。

 中盤祖父が、子供を厳しく、時には体罰を与えてでも躾をしないといけない理由を語る。さらに一度で言ったことをしないといけない理由も。これが、イランと日本の、つまり遊牧民と農耕民族との差か、とも思ったが、国や土地柄によって常識が変わるのは当たり前で、現在の日本の常識を当てはめて考えてはいけないのだろう。

 ずっとイライラさせられる映画だが(笑 、たった一つだけの伏線がラストシーンでしっかりと回収され、それが和ませてくれる。

 この監督のジグザグ三部作?の1本目だそうで(なんだそりゃだが)、確かにポシュテの街に向かう主人公が登っていく道がジグザグしていたが、あれがそれを示しているのか?ちょっと気になるし、三部作の残りも観てみたい気がする。

 

三屋清左衛門残日録

●三屋清左衛門残日録 2016

 BSフジで2016年に放送された時代劇。北大路欣也主演。原作は藤沢周平の同名の短編集。その後シリーズ化されており、2021年までに5本が放送されている。

 

藤沢周平の原作

 

原作とNHKでのドラマ化

 原作は15編からなる短編小説(「三屋清左衛門残日録」wiki参照)。1993年にNHKでドラマ化されており、清左衛門は仲代達矢が演じた。仲代版は全14話であり、なぜか原作の第2話「高札場」はドラマ化されていない(正確には、シリーズ後のスペシャル版でドラマ化された)。仲代版の第1話は長尺となっており、原作の1話3話を抱き合わせた話となっている。このため、全14話には一つ話が足りず、13話「嫁のこころ」がオリジナル〜ただし世界観は壊していない〜となっている。

 

 本作は、原作から「白い顔(第4話)」「川の音(第6話)」「霧の夜(第11話)」の3話分のエピソードを中心に組み立てられている。また新シリーズとしての1話目となるため、主役の清左衛門をはじめ、その他の登場人物や舞台背景などを紹介するために、この3話以外からもエピソードが使われている。

 

あらすじ(赤字はカッコ内の原作の話にはない部分)

 

(第1話「醜女」の一部)

 三屋清左衛門は先の殿の用人だったが、殿の死去とともに用人を辞め隠居となる。妻を亡くしており、息子とその嫁と同居しているが、現藩主の計らいで隠居部屋を作ってもらいそこで日々を過ごしており、日々の出来事を残日録に記していた。清左衛門は嫁里江に隠居暮らしとなるこれからをどう過ごして行くつもりかを話していた。

(第4話「白い顔」)

 清左衛門は菩提寺へ参るが、その門前で若い女性とすれ違う。住職からその女性が杉浦波津の娘多美であると聞かされる。清左衛門は若い頃波津と道行きをし一夜を共にした記憶を懐かしく思い出す。涌井で町奉行の佐伯熊太にそのことを話すと、多美は酒癖の悪い元夫から復縁を迫られており、新しい嫁ぎ先が見つからないらしいことを聞く。

 涌井を出た二人は派閥争いが原因の若い者同士の争いを目撃、熊太がそれを仲裁する。清左衛門は、通う道場の平松に多美との縁談話を勧める。

 平松と多美は熊太の仲人で結婚をすることに。清左衛門は二人の式には出席せず、涌井で女将みさと酒を飲んでいた。みさはもっと早く清左衛門と知り合いたかったと話す。涌井を出た清左衛門は多美の元夫藤川金吾に待ち伏せをされていた。しかし清左衛門は藤川に厳しい言葉と態度を示す。

(第6話「川の音」)

 清左衛門は一人釣りへ行く。そこで同じく釣りをしていた男と出会う。その男とも離れ清左衛門は野塩村で釣りを続けようとするが、そこで急流の中で立ちすくんでいた母おみよとその娘を助ける。お礼におみよの家へ行くことに。

 その夜、屋敷に黒田欣之助が訪ねてきておみよとの関わりを清左衛門に尋ねる。そして今後おみよとは関わり合いにならぬようにと話し去って行く。後日清左衛門は熊太に野塩村で事件がなかったかを調べてもらい、それが石見守が国許に滞在していた春に、野塩村で不審な土左衛門が上がったということだった。

 おみよが清左衛門の屋敷を野菜を持って訪ねてくる。清左衛門は春の土左衛門のことを聞く。おみよは事件当日、多田掃部の屋敷の手伝いをしていたと話すが、その時おみよは掃部の屋敷にきていた朝田家老と石見守の姿を見ていたのだった。清左衛門はおみよにそのことを黙っておくように伝え、村に帰るおみよを送って行く。二人は朝田派の一味にあとをつけられていたが、平松が駆けつけたこともあり、無事送り届けることに。清左衛門は朝田家老と石見守が何を企んでいたのか疑問に思い、多田掃部の家を訊ねるが、掃部は釣りの時に会った男だった。

(第11話「霧の夜」)

 清左衛門は涌井で熊太と酒を交わしていた。熊太から朝田派の黒田が江戸に向かったという話を聞く。また、成瀬喜兵衛がボケてしまったという話も。

 清左衛門の屋敷に女性から手紙が届けられる。ある店で会いたいとのことだった。その店に行った清左衛門は女が成瀬の使いのものだった。成瀬は清左衛門とは道場仲間であったが、朝田派の者に見張られていた。それは成瀬が朝田家老が毒を使うと話したのを聞いてしまったためだった。成瀬は清左衛門に遠藤派の上に人間を紹介して欲しいと頼み、清左衛門は間島家老を紹介することを約束する。その帰り道、成瀬はやはり朝田派の者につけられるが、鬼の喜兵衛と呼ばれた剣客ぶりを発揮しその者たちを倒す。

 清左衛門の家へ熊太が訪ねてくる。朝田派から何の動きもないと彼は不思議がる。その夜、清左衛門は朝田家老が毒を使う相手について考える。

 

まとめ

 BSフジによる新シリーズ化ということで、原作の世界観を紹介するスタートとなっている。主人公清左衛門を取り巻く環境〜家族や友人、隠居までの仕事、隠居した後の暮らし、など。

 もともと原作の中で語られるのは、

(1)藩の派閥争い

(2)息子の嫁里江との関係

(3)涌井の女将みさとの仲

(4)清左衛門の若い頃の友人たちとの話

(5)清左衛門に持ち込まれる難事の解決、など。

 本作で原作15話から選ばれたのは上述した通り、以下の3話。

 

 第4話「白い顔」は原作では(5)のイメージだったが、新シリーズ冒頭の話ということで、(1)(3)の話もちょっと顔を見せる。

 第6話「川の音」は原作では(5)のイメージだが、ここでも(1)が関係してくる。

 第11話「霧の夜」は原作通り(1)。ただこの話だけは、原作では珍しいカタルシスが感じられる話。ボケを装っていた成瀬喜兵衛が、追っ手を切り倒すシーンは何度見ても気持ちが良い。

 こうして見ると、本作は(1)藩の派閥争い、がメインの話のように思える。隠居したはずの清左衛門が、それでも派閥争いに巻き込まれていく、という印象をつけたかったのか。原作の面白さは(2)〜(5)にも当然あるのだが、それは次回作以降のお楽しみといったところか。

 

耳をすませば

●534 耳をすませば 1995

 雫は本を読むことが好きな中学生。図書館で本を借りているが、自分が読む本の貸出カードに天沢聖司という名前がいつもあり、その人のことを気にしていた。

 友人の友子がラブレターをもらったことを雫に相談する。友子は杉村のことが好きだと告白する。二人は帰ろうとするが、雫は本を忘れたことに気づき、二人で座ったベンチへ行くと男の子がその本を読んでいた。彼と会話をするが、雫は悪い印象しか抱かなかった。

 雫は電車に乗っている時に猫がいることに気づく。その猫の後をつけ地球屋という店にたどり着く。雫は店にあったバロンという名の猫の人形が気にいる。

 雫は先生に本のカードにあった天沢聖司のことを尋ねる。そして同級生に天沢という少年がいることを教えてもらう。友子から電話があり、杉村から友人からラブレターの返事を代わりにもらってきてくれと頼まれたと言われたと話しショックを受けていた。友子は翌日学校を休む。雫は杉村から友子が休んだことについて聞かれ、正直に友子の気持ちを杉村に伝えるが、杉村から雫のことが好きだと告白を受けてしまう。

 自己嫌悪に陥った雫は地球屋へ行くが、店はお休みだった。店の前で猫と話をしているとそこへあの男の子がやってきて、店の中を案内してくれることに。雫はバロンを眺めていると日が暮れてしまう。男の子がいる場所へ行くと彼はバイオリンを製作していた。バイオリンを弾くことを頼む雫だったが、彼はその代わりに歌を唄えと話す。二人が演奏していると店の主人が友人たちとやってきて一緒に演奏することに。そこで雫は初めて彼が天沢聖司であることを知り、彼がバイオリン作りのため留学をしたがっていることを聞く。

 翌日彼が留学を決めたこと、図書館のカードで雫のことを知っていたことを雫は聖司から聞き、自分の将来について考え始める。そして物語を書くことを決意する。聖司が留学をし、雫は物語を書き始める。成績が落ち母親や姉から注意をされるが、父親は雫が思う通りにやってみるといいと話す。小説を完成させた雫は地球屋の主人にそれを読んでもらう。それは主人の経験と重なる話だった。

 聖司が留学から帰ってくる。雫を連れて高台から街の風景を見ながら聖司はプロポーズをし、雫はそれを受け入れる。

 

 またまた金曜ロードショーでやっていた一本を観ることに。ジブリの宮崎アニメは全て観ているが、他のジブリ作品はほとんど観ていない。もちろんこの映画のことは知っていて、どこかで観たことがあるつもりでいたが、実際に鑑賞して初見であることに気づく。脚本が宮崎駿なのも初めて知った。と同時によくこんな平凡なラブストーリーを作ったなぁと感じたが。

 ネットで映画のことを調べたが、宮崎駿

 「この作品は、自分の青春に痛恨の悔いを残すおじさん達の、若い人々への一種の挑発である」

 と述べていることを知り、納得。『おじさんたちの悔い』がそのまま形になっているもの(笑

 もう一つの宮崎の言葉。

 「この作品は、一つの理想化した出会いに、ありったけのリアリティーをあたえながら、生きることの素晴らしさを、抜け抜けと唱いあげようという挑戦である」

 「挑発」であり「挑戦」であるというこの映画。まさに狙い通りに仕上がっている。

 

 蛇足。バロンの声優が露口茂さん。NHKで先日まで再放送されていたホームズ!